2017年8月15日火曜日

空白の間から生まれるイメージ。

8月15日 そよ風ペダル 担当:梶川

お盆ですが稽古をしています。
ですが、さすがにお休みの方もいるわけで。
今日は全員が登場する前半シーンではなく、個人パートのシーンをメインで稽古していきました。
全員のシーンは息を合わせて同時に動いたりといったアンサンブルが大切になります。
個人パートシーンは会話主体なのでやりとりのテンポが大切になります。
今日はテンポとともに、空白の間をどう作るかということが課題だったのではないかと感じます。
見ている側にとって、会話が行われている間、何か事が起きている、動いているいる間はそのことを認識することに注意が向かい情報を処理することに必死で想像は広がっていません。
想像力が刺激されるのは、実は空白の間が生まれたときになります。
何かに気づいたり発見したとき人は満足感を感じます。
俗に言うアハ体験ということですかね。
発見を英語で言うとディスカバーといいますが、つまりはカバー(覆い)を取り除くということです。
会話している時や動いている時というのは実はその情報がカバーになっています。
空白の間が訪れた時、カバーが取り除かれて見えてくるもの、イメージがあります。
会話劇が退屈に見えてくる一つの原因はこのカバーをかけられるかどうかにあります。
お客さんがついては来て情報を取り込んではいるが、それを処理まではしきれていないテンポで会話がなされるとカバーがかかっている状態になります。
テンポが悪いということは微妙な間がすでに会話の中に盛り込まれてしまっており、情報の処理まで終わってしまい空白の間が来た時に新たなイメージが生まれることがありません。
だからこそ会話劇においてセリフをしっかり伝えるということが大切になります。
なぜなら、セリフの意味を届けてそちらに注意をそらすことがカバーを作ることにつながるからです。
カバーがあった上で、空白の間で見えてくるイメージというのは、セリフの意味ではありません。
セリフや作品を越えて、お客さんそれぞれの心の奥に隠されている何かです。

今回の登場人物たちもタイムカプセルを見つけようとグラウンドを掘り返しています。
覆いを取り除いて奥に隠れたものを発見しようとしています。
そこにはどんなイメージが広がっているのでしょう。
作品の終盤で覆いは取り除かれます。
そしてその後では確かにセリフを越えたシーンが生まれています。
会話劇としていろいろなおしゃべりをしていますが、つまりはそれはカバーを作っているのでしょう。
会話のテンポというカバーをいかに作るか、稽古していければと思います。