2017年7月28日金曜日

クライマックスからエピローグへ

727 WakuWaku 担当 土井
今日は204号室での稽古。
ここは大ホールの楽屋・控室。座敷や鏡が貼りめぐらされたロビーに、化粧台シャンプー台・・・もある不思議な空間です。(パートに分かれての稽古にはいいかも!)

まず発声練習。今日はスタッカートで強く一音ずつ声を切って出します。早いテンポで声を出せないならば、ゆっくりとしたテンポからやってみましょう。腹筋が鍛えられます。

さて、柱や壁にじゃまされたややこしい空間で、今日は25ページからラストまでを稽古しました。
浩子と栞の喧嘩、そしてクライマックスへと緊張した熱い場面が続き、エピローグは落ち着いた空気で終わります。

動きは感情に連動しています。特にクライマックスに近づく場面では知らずに身体が立ち上がってしまう、といった感情が湧いてきます。
そして、この熱い場面の中に訪れる「沈黙の間」や、強い思いを胸にたぎらせながら、あえて抑える口調。この、いたたまれない「静」の時間があることで、激しいやりとりが活かされてくるのだなあと思います。「静」を破って最初に発話することの難しさ!
亜季は友達が団結して自分を応援してくれる意に沿えず、縁子は同意を期待されるのに何も言えない、といった「人の圧力」に対峙しなければならない場面があります。圧を感じながら相手の意に沿えない事を伝える、又はなんらかの意志はあるが言葉に出来ない・・・人の圧を十分に感じ、発話するる辛さ。

来週は全編を通します。台詞を入れ、立ち(座り)位置はしっかり把握して臨みましょう。位置は手探り状態。今後も変わっていくでしょうが、その都度ちゃんと確認してメモして下さい。自主練習も始まります。体調整えがんばりましょう。


2017年7月25日火曜日

バブルの幻出。

7月25日 そよ風ペダル担当:梶川

80ページを越えました。
ページ数的にはそろそろ終わりに向かっていくところですが。
まだまだ終わりは見えてきません。
が、キャラクターたちの記憶の掘り起こしは加速してきました。
バブルが舞台上に現出しております。
そして幻出も。
幻のような存在が舞台に現れています。
さてこの幻がどのように終わりに繋がっていくのか。
来週には、期待して待ちます。

情報整理。

7月25日 恍惚一座 担当:梶川

中盤の書き直し脚本が届きました。
新しいキャラクターの登場があったり、構成を変更して暗転してわかれていたシーンがつながったり。
前回ではそのシーンに登場していなかったはずのキャラクター(夫)を出すことによって新たな解釈を加えていきます。
どのキャラクターがどこまでの情報を持っているのか。
疑似家族であったり、いろいろ設定が複雑なので稽古しながら情報を整理してさらにブラッシュアップしていきます。
さて来週はお休みです。
構成表はすでにもらっているのであとは書き上げるだけということですが、前作は時間を気にして少し無理をして終わりをこしらえたので、ここからが勝負どころです。

さて以前のブログで家族に制度ついて劇団員がしらべられてという話をしました。
なかなか興味深かったのでここに載せたいと思います。
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NETで検索してみました。血縁家族は明治以来法律で保護され続けたため、血縁家族が常識になったようです。現在も血縁家族は法律で保護されているため非血縁家族に対しては違和感があるよですが、歴史的にみると非血縁家族が主流のようです。血縁家族はここ100年ぐらいの歴史のようです。そこで、家族というものをどう考えるか?
私の感じでは、ネット社会によるライフスタイルの変化が現在の法律に保護された家族制度に大きな影響を及ぼし、血縁家族と非血縁家族の差を解消していくような気がします。できればこの台本がその先ぶれになればと願ってます。

○法律の薦める標準家族
「夫が外で働き妻が専業主婦で子どもはふたり」という「標準家族」思想の影響「家族」とは「血のつながった人たち」という意識
日本では、未成年の養子は急減するなど次第に血縁が重んじられていく。「婚姻や血縁で成り立つ『家族』という考えが日本で普及したのは、日清戦争後に制定された明治民法。それ以前は、使用人や居候など、血縁がない者と暮らすのが当たり前だった。
『家族や血縁の人と縁を切る』法律は存在しません。 血縁家族は法律で保護されている。

○昔の日本
その昔、村落共同体では、村の男(達)、村の女(達)、村の子供(達)であったわけで、集団が血縁である必要はなかった。実際、村では、夜這い規範なども有り、どの子が親が誰なのか?良くわからなかったようですし、解からなくても何も問題はなかった。

○家族の意義
家族繋がりの核心部分は、その血縁関係にあるのではなく、充足を共有した体験にあるのではないでしょうか?年々、家族のつながりが希薄になっていると言われていますが、それは、家族の中ではその充足対象が小さく限定されている事が原因であり、逆に、そこに着目すれば血縁を超えた共同体の再生が可能ではないかと考えられます。
大切なのは、お互いを思いやり、家族になっていこうという思いなのです。
結局「家族」というのも血縁関係や性的関係を含むシェアハウスの一種に過ぎない。家族の大きな存在意義は、「自分が何かピンチになった時の逃げ場、居場所」血がつながった家族でもどうしても仲良くなれない人はいます。
周りがみんな敵に見え始める時代潮流の中で、「せめて肉親だけは裏切らない、裏切れない」と、すがり付いたのが「血縁家族」なのでしょうか?

○養子
里親と里子の関係は、最初はぎこちなかったり、トラブルが起きたりもするようですが、長い時間をかけて少しずつ信頼関係を作り上げ、やがて本当の「家族」となることができるそうです。家族は、血のつながりだけで表せるものではありません。

○母系と父系
日本人はもともと、天皇家と武家を除けば古代から「母系社会」であり続けた。近世以降、朱子学や儒教の影響を受けた武家の影響によって、一般庶民も表面的だけ父系制を取り入れたに過ぎない。
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こんなことを共有しながら作品創作に臨んでいます。
作品に興味を持ってもらえたら幸いです。

2017年7月21日金曜日

リアクションで台詞を返す

720 Wakuwaku  担当 土井
今日の発声練習はいつもと趣向を変えました。
ひとりが今日の出来事を語り、他の人がその言葉と動きをそっくり真似ます。
話している人の身体の重心はどこにあるか?
気持ちが高揚していると重心は上へ上へと。重心が下に向かうとずっしりと説得力を感じます。

今日、実際の舞台の大きさを紐で囲って見ました。実際のテーブルの大きさがどうなるかが問題です。
四場、栞と貞子の絡み後半から。貞子は表情を変えずに相手に謝罪を求めます。
重い空気の2人の後ろを現代の3人が楽しげに通り過ぎます。座り位置に変更がありました。新しい位置に頭をシフトしましょうか。





五場は、暗いところでの好美の発話から始まります。客席にしっかりと届きながら暗さに馴染む声がきっと出るようになります。そして「・・・」。言葉にしない何かを感じます。



好美に振り向かない事で辛さに耐えている亜希。
でも明るく生きる強さを持ち合わせている人です。
歩く時に身体が揺れるのに注意です。ちょっとした目の動きはとてもインパクトがありますね。そこで亜希は何を見ているのでしょうか?
好美は気づかない「ふり」をしているのでしょうか?
感情を表に出さないふたり、お互いに相手に対する微妙な心遣いがあります。

六場、栞はふっきれているか?のように高揚しています。
竜二の「ため息」は独自のものなので会話に馴染まないように。反対に会話する時は、相手の台詞をちゃんと受けとめ、リアクションとして台詞を返してください。



菊江は折り紙の手作業をしながら会話しています。その手が止まる時、空気が変わります。

廊下を歩きながらの会話は距離を計算しながら歩きます。実際はもっと距離があるので、出来れば実寸で稽古したいものです。

内弁慶の縁子は菊江が他の人に繋がるのを遮断します。ここも数人の登場人物の中で二人だけの会話をする場面です。

来週は今週の続きからラストまでを稽古し、再来週は通します。



2017年7月18日火曜日

録音してセリフ覚え。

7月18日 そよ風ペダル担当:梶川

脚本追加で70ページまできました。
もうそろそろタイトルも決まりそうな予感がします。
追加シーンの稽古のあと、通し稽古をしました。
ICレコーダーを持って来られて録音される方もいます。
お家で周りのセリフを聞きながら自分のセリフを覚えていくためなのですね。
そのこともあり、滑舌に気をつけて通しをしましょうと。
人によっては脚本を持ちながらも、演技中にパッと確認しつつ自分のセリフの時には相手役を見ながら演技されていている方もいて。
それゆえ時折とどこおることもありましたが。
滞ったところも録音されておりますね。
としても、これまでに繰り返し稽古していますし滑舌を気にしたからか、見やすくテンポの良い演技が続きました。
前作「ほとぼり」の創作を越えて、テンポであるとか自然な会話のやり取りというのが身についているなぁと感じます。
となると本当にセリフをいかに覚えるか。
脚本を完全に外した時に思い出しながらになるため自然な会話をもう一度作り直しになるかもしれませんが。
どうあれ録音した音源を使ってセリフ覚えしていただければ。

思い出の品。

7月18日 恍惚一座 担当:梶川

書きかえの少ないであろう前半20ページ分がまずは稽古場に届きました。
読み合わせをしてみて変更箇所を確認しました。
決定されたシーンができれば稽古も開始できるわけで。
大筋は一緒で細かくネタが増えている感じ。
ここまでは一度作り上げたものを土台にさらに積み重ねることになりそうですね。
終わりの方で少し話が分岐してきました。
後半は新しいシーンが増えていくことでしょう。
読み合わせの後に早速立ち稽古です。
新しく追加されたネタを実際にやってみて笑ってしまって進行が止まったり。
いい傾向ですね。
やりながら書き直しなどもありつつだいたい30分程度でした。
前作では擬似家族がアイコのアルバムを隠していたわけですが、今回はそういった作為はなくなりました。
アイコがこの家の娘であることを証明するために子供のころのものを探しに納戸にいきます。
そこには思い出の品が溢れていて。
教科書とか通信簿とか名前の書かれたものが出てくると決定打になって話が終わってしまうので、そうではない思い出の品ってどんなものがあるかしらと話し合います。
すでに人形は出てきていて。
それ以外となるとなかなか難しいですね。
思い出の品といえば、何でしょうね。

2017年7月14日金曜日

思い出をさらっと流すな

713 Wakuwaku 担当 土井
発声練習をした後、先週の続き、二場面の6ページ後半、縁子と竜二のやり取りから稽古を始めました。そこへ貞子と菊江が登場し、舞台は4人になりますが、貞子と竜二、菊江と縁子が他の2人に関わらず其々に会話をします。


栞が後ろの廊下を通り過ぎるタイミング、それに声をかけるタイミング、を掴みます。他の場面でも、会話している後ろを誰かが通り過ぎます。後ろをうまく使い、舞台に立体感を出したいものです。


貞子との会話の中で、菊江は経験上いろいろと心配になることもありますが、嬉しくもあります。様々な感情を想定してみましょう。「湿っぽさ」はあまり出ないように。

 三場面、貞子、縁子、浩子の同窓会では手作業しながらの会話が続きます。テンポよく息が合って、笑いを誘います。
テーブルを囲む為、奥に座る人を見せる配慮が必要。今後いろいろ試してみて、いい立ち位置、動きを見つけたいと思います。
会話に出てくる「昔話」を「流さない」ように。具体的なイメージを思い描き、そのとき考えていた事を思い出し残っていく、思い出ひとつひとつに楔を打つ感じです。これが回想のシーンに繋がります。
新聞部だった浩子はあの頃の失敗や無力感をしっかりと心に留めています。



そして四場面、栞と遠藤。役人という職業をもった大人と高校生の会話です。ここも後ろの廊下での会話です。遠藤の登場は結末への伏線、何かをお客さんに予感させるものがありますね。今日はここ17ページまで。






2017年7月12日水曜日

テンポと滑舌。

7月11日 そよ風ペダル 担当:梶川

追加ページはありませんが、書き直しのページで差し替えがありました。
どうやらエンディングが筒井さんの中で見えてきての差し替えということです。
終わりはできていて、どうやってそこにつなげていくか。
バブルのことをどう扱うか。
皆さんからのリサーチではバブルの時期がちょうど育児に追われていたのであまりバブルを実感したというエピソードが少なかったわけで。
最後につなげるとしてのパーツが不足しているとかどうとか。
ということは筒井さんの中から生まれるもので補われるわけで、それはとても楽しみです。
どうであれみなさんも私も終わりが見えていないわけで、ゆえに期待が高まります。
期待ですね。
まあ一番書き上げてしまいたいのは多忙の筒井さんなのでしょう。

さて稽古は今できあがっているところ通しました。
脚本を持っての通しですが、テンポがとてもよかったです。
逆に良すぎて意味内容を聞き逃すことがあって。
テンポよく楽しんで演技しすぎて、少し滑舌が乱れてしまった印象でした。
なので残りの稽古時間は後半のシーンを感情は後回しにして、一音一音粒立てて立ち稽古を。
雑になってしまったという印象が音を丁寧に発しようと意識するだけで俄然演技が見やすくなりました。
今のところで通しに45分かかりました。
作品として半分過ぎたあたりでしょうか。
まだ終わりまでの道のりは長いかもしれませんが、本番までの時間もあって、なかなかのジレンマですね。

家族のあり方を調べる。

7月11日 恍惚一座 担当:梶川

本格的に追加シーンが届きました。
重要なことはそれぞれのキャラクターがストーリーの中で何をしているかの表を配られたこと。
みんなで何が事件で作品の中での課題が何でどこに向かって終わっていくかを共有しました。
脚本はできあがってないですが、作品のイメージは湧いてきます。
追加シーンも作品の核になる部分。
期待が高まります。
まずは創作している本人たちが興味を持ち楽しめること、それが重要なのではないでしょうか。

そして、この一週間の間に劇団員の方が今回の作品を受けてネットで家族について調べて全員で共有しました。
これも確実に作品の指針になっていきそうで。
私見ですが家族のあり方について、血の繋がりなのか一緒に暮らしているという所属感なのかという議論がこの作品の中にはある気がします。
だとしてそのことを表層的にでもネットで調べるだけで血縁による家族制度というのは明治以降、ここ100年の間にできたものであると。
家族像の変化は雇用制度の変化に関係しています。
農業などの第一次産業が中心だった社会と高度経済成長期の第二次産業中心の社会では必要とされる家族形態が違いました。
片や家族全員が労働人員であるのに対し、核家族化されサラリーマンと専業主婦という性別での役割分担が明確にされていきます。
そして現在は共働きということが当たり前になり、また新たな家族像が求められているのかもしれません。
この時代が変わるタイミングに描かれるハウスホールド。
まあ難しい事は置いといて、コメディですから。
楽しんでいただければと思います。


2017年7月7日金曜日

必要な間をとる

76 WakuWaku 担当 土井
7月に入りました。今月中に台詞を頭に入れて、81週目には初めての「通し」をする事になりました。
演出が言ったことを次回にできるよう、台本にメモをして、家で同じように動いてみてください。まずは、動きや台詞のタイミング、どの位置に立つか等「段取り」、決め事なので、覚えたらできる事です。
台本に入る前にストレッチと発生練習を。今日は「あくび発声」の発見。喉に力を入れず、空気の出口である口が大きく開くので、なかなか良さげです。

さあ台本、一場面最初から始めます。
焦らずしっかりと間を取り、シーンの空気感を掴みます。
詩的な思いに入り込み相手の存在を忘れて話す時と、テンポよく相手とやり取りをする時。その切り替えには必要な間があります。

縁子が舞台に残り二場面に移る「繋ぎ」は大事ですが、今日はそこはせずに二場面の竜二の登場に続けます。「繋ぎ」は他の役にも起こります。皆で集中して「繋ぎ」の稽古をしましょう。

見えないところで先輩を恫喝している竜二、台詞をあせらないで下さい。登場はしないけど恫喝されている相手がいることを忘れずに。
亜希は怒ってはいますが、他の寮生のように竜二を忌み嫌っているわけではない。竜二へ対する友情か愛情をどう表しましょうか?
怖い竜二が亜希には弱い、そんな2人のやり取りを見せて下さい。竜二が右往左往して亜希のご機嫌をとるコミカル感を。

単なる、自分の勉強の邪魔者でしかない竜二には関わりたくない好美。近寄りたくないというスタンスが、立ち位置に現れます。

隠れていた縁子と竜二の突然の出会い、叫び声が続きます。ここは段取りではなく、なんというか臨場感を持ってこの一瞬を捉えたいものです。

来週はこの続きから。今日は出番がなかった方すみません、来週を楽しみに。人の稽古を見ながら参考になることは多くあると思います。そして今日の演出の指示は、ちゃんと次回まで引き継ぎ、自分のものとするように。
今回の芝居はいろんな相手と絡みます。稽古後に皆さんロビーで自主練習。公演に向けて気持ちがたかまります。







2017年7月5日水曜日

家族の変遷。

7月4日 恍惚一座 担当:梶川

福岡でのハウスホールドは11人出演でした。
今日から復帰の方がいまして、次回は12人での新ハウスホールドとなります。
というわけで今日はまず新キャラクターの登場シーンから稽古開始です。
2ページの中でたいして話は進んでいないのですがネタは盛りだくさんです。
ネタをどうすれば成立させられるかをあーでもないこーでもないといろいろやり方を試します。
同じシーンを役者を変えたり、役柄を変えたりして見えてくるものを確認しました。

後半は脚本の書き換えの方針やどのような終わりを目指しているのかについて、山口さんからかたられたのをきっかけに家族とは何かという話になっていきました。
例えば祖母のところに集まった家族はどのような経緯をたどってできあがったのか。
やはりそこには飛躍があって、現実として考えるなら集まって家族にならないよなと。
孤独感があったとしても同時に他人と暮らす摩擦もあるはずで、どんなバックボーンがあればこの家族はできあがるなか。
ハウスホールドという作品はつまり、この家族を否定・拒否することから始まるアイコが話が進むにつれてどのように受け止めていくのかということかもしれません。
その家族は祖母が思い描く家族像なわけで、このアイコの受け止め方は祖母への受け止め方につながっていくのです。
60分バージョンでは時間の制約とすべてのキャラクターにエピソードを持たせるためにアイコの変遷、つまりは作品の本筋が描き切れていませんでした。
「家族なんだから」という言葉でなんとなく解決されるもろもろ。
例えばその時の家族ってなんだろう。
そしてなぜ家族ということで解決されてしまうのだろう。
そこには血のつながりとか家制度とか封建制度とかいろんな概念が絡まているように思いますが。思想や概念は横に置いて納得できる家族像を模索していくことになるのでしょう。

2017年7月4日火曜日

気体への期待。

7月4日 そよ風ペダル 担当:梶川

今日は期待と期待外れについてみんなで思考をグルグルとさせました。
どういう事か説明しようとすると、もうそのまま脚本に書かれている事なので詳しくは書けないのですが。
バブルということを取り扱っているという話は以前にしていまして。
つまりはバブルというのは期待が膨らんでいる状態なのだなと。
こういったことも脚本に書かれていますが、大目に見てもらって。
面白いのはバブルという言葉でも膨らむというわけで、そして期待というのを音だけで聞くと気体となってバブルにつながっていくのだなと。
単純に聞き間違っただけなのですが、そんな小さな気づきにドキドキしました。
そして気体には実体がないとして、期待にも実体はないのだと。
そんな期待についてのシーンが続いていきますが、このあと期待と期待外れがグルグルするのです。
そして頭はクラクラして奇態となっていくのです。
冗談はさておき、以前に役柄の記憶を掘り返しているということを書きましたが、登場人物たちの会話を追っていくと作品自体も少しずつ掘り返されて深いところに至ろうとしているのではないでしょうか。