2017年4月11日火曜日

演出的、客観的、俯瞰的、全体的。

4月11日 恍惚一座 担当:梶川

作品後半の稽古となりました。
山口さんからどうすればそのシーンが笑えるようになるかの解説があり、実際に演じられるかが求められます。
なんだか脚本読解ということが気になります。
それは普段の稽古で他人が演技のしているのをどのように見ているかということかなとも思うのですが。
脚本を読んだ時に客席から舞台を見るように俯瞰してそのシーンが想像できるかということ。
演出の視点でもあるのですが。
他人が演じる舞台を見ている時にそういった演出視点で見る癖をつけておくと、自分が舞台に立つ際も役柄の感情や生理といった内向的なことではなく、どうしたら見ている側にシーンの面白さが伝わるかといった外向的な問題に考えが及び始めます。
脚本読解で言うならば、自分の役柄をどうするかということで読みがちですが、その前にシーンとして何が描かれているかを読んでみれないでしょうか。
全体として何が起こっていて何を達成なければならないかという事がわかれば、役柄を演じる役者として、そのシーンでどんな役割を任されているかが見えてきます。
役柄の個性や感情というのはその役割を達成したうえで表現されることではないでしょうか。
本当のところを言うならば、演出家からそのシーンの何が面白いのかの解説はさせてはいけません。
役者は役柄を演じる前に演技で演出家に私はこのシーンの面白みをこう読み取ったと伝えられることが必要なのではないでしょうか。
演出的、客観的、俯瞰的、全体的。
どんな呼び方をしてもいいのですが、役柄という呪縛から離れて脚本を読み直してみると気づけることが沢山あるのではないでしょうか。
脚本には台詞しか書かれていません。
ですがそこにすべての事が書かれているのです。