2014年11月9日日曜日

私たちはまた、踊れるのでしょうか。

11月4日 そよ風ペダル

モロモロウロウロ再考が続きます。

まずは筒井さんからの短くする箇所の提案。

シーンを何個か飛ばしつつ、折り込みつつ繋いだシーン展開を。

それとキーパーソンが語る独白を短くして。

実際に立って演じてみながら、どう見えるかを確認していきます。

みなさんも宿題として短くするやり方を考えてこられています。

どんな風に考えてカット作業をしたかを発表して話し合って。

議論が加熱したのはダンスについて。

最後はダンスで締めくくるわけですが、前回公演の時になぜダンスをすることになったのかが掴みきれなかったと。

話を聞いていて、確かにダンスが踊れるかどうかは(身体能力の意味でなく)作品の根幹に関わっているように感じました。

前回の記事でも書きましたが、私はモロモロウロウロの本質は喪失感だと思っています。

この喪失感を核にした作品がダンスで終わるということはどういうことでしょう。

作品の中では詳しく説明されていません。

さじ加減ですが、そこを言葉にしてしますのは野暮というものでしょう。

知って認識してもらいたいのではなく、感じて動いてもらいたいのですから。

知識ではなく感動を。

さておき、ダンスをする動機ということなんですが、それぞれ自由に考えてもらえればいいと思います。

動く機会なんていつでも人それぞれですから。

踊れなかったり踊りたくなかったりするかもしれません。

それはそれで持ち続けた上で、それでもなお踊るということさえも表現になるのですから。

踊らされたっていい。

ただ、踊ったということを最後に受け止められれば。

踊ったあとに何かが変わるのか、変わらないのか。

とにもかくにも今回も踊ります。

踊らないより踊った方が、しんどいかもしれないけれど楽しいですから。

私たちはまた、踊ります。