2014年11月29日土曜日

久しぶりのダンス、体の記憶。

11月26日 そよ風ペダル

モロモロウロウロの脚本作り直しを進めています。

今日出されたシーンで作品全編について読んで話し合った事になったはず。

そして公演の情報公開がすでにされているようです。
↓↓↓
http://senior-engeki.net/

第3回全国シニア演劇大会in仙台に参加します。

演劇大会ゆえに上演時間が限られておりまして、90分?くらいだったかの作品を半分の45分に作り直そうとしているのです。

モロモロウロウロというのは、前回のチラシに掲載されているように登山仲間の深沢が一人で登り慣れた山で行方不明になる話なのです。

取り残された人々はもやもやとした気持ちを扱いかねながらどう向き合っていくのかの物語です。

このブログでも語ってきましたが喪失感を扱った物語です。

そして今日扱ったシーンがこのテーマについて直接語られているナイーブでデリケートなところでした。

しかしその議論はすでにこれまでの稽古でされつくされていたようで、どう短くするかといった具体的な話がなされていきました。

そして作品の目玉であるダンス。

今日はダンスの構成をホワイトボードに書きだして久しぶりに踊ってみました。

このフリはこうだった、いやああだったと大変にぎやかに。

でも体を動かしてみると、すごいですね、案外に覚えているものです。

まあ綺麗に踊るには時間がかかりそうですが(特に後半の大技。前回も苦労しました)なんとかなりそうな予感がします。

試演会を含め三度目のモロモロウロウロです。

まずは動いてみる。答えはあとからついてくる。

11月25日 恍惚一座

前回やったゲームを引き続きおこないました。

椅子取りゲームは前回なんだか上手くいかなかった印象でしたが。

鬼をやるにもコツがいるんじゃないかと。

ワークとしてやっているので、実は椅子をとることが目的ではないかもしれません。

うまくいき始めると、鬼の動きをきっかけにして周りが動き始めます。

まるで鬼が周りを操っているような感覚が得られて、ちょっとした全能感をです。

周りの人の意識のメインは実は鬼に注がれていて、周辺視野というか、皮膚感覚というかでぼんやりと他の周りの動きや状況の変化を捉えると上手くいくような。

頭では鬼に集中して、体で周りの状況を感じる。

意識と無意識というか、メインとサブというか呼び方は何でも良いのですが、ながら作業と言ったりマルチタスクと言ったりもしますが、同時にいろんな集中をできるようになること鍛えることができそうです。

脚本稽古が始まります。

今日は山口さんが指定した1ページを配役を決めて読み合わせをするところから。

そのページでの役柄の目的を話し合っていきます。

全員で目的や状況を確認したところでもう一度読み合わせを。

山口さん曰く、さっきの読み合わせと劇的に変わったりしないですよねと。

目的や状況から感情を想像して読み合わせをしてしまうと、思い入れたっぷりで日常会話からは乖離していきやり取りのテンポが悪くなります。

このあとテクニックとしてやり取りにテンポをつける為に相手のセリフの語尾にかぶせてしゃべるということをしました。

感情を込めず機械的にしたほうが、実は聞いている方はお話の内実を捉えやすいです。

そして本を読んでこんな感じで声を出せば良いだろうなというのとは、敢えて違う声の出し方をしてみる。

これも機械的なことに含まれると思うのですが、声を音と捉えて音量、高低、音質、前述のテンポを変えてみる。

そうすると予期しなかった発見があったりします。

例えば言い争っている状況を敢えて楽しげな声を出してみると、体面を繕っているように聞こえて逆に腹の底では本気で怒っているように聞こえてシーンが一層際立つ。

役柄の目的や置かれている状況、そこから導かれる感情みたいなものは、ではどこで表せばいいのでしょうか。

山口さんはアクションであると。

公演稽古において、立ち位置についての演出がよくなされます。

相手役との距離というのもひとつのアクションです。

近づいたり遠のいたりすることで見えることがあります。

動いたり止まったり、視線を使ったり呼吸を使ったり。

演技を決めるときに、まずは一般に段取りというものを決めていきます。

どのタイミングでどう動いてどこで止まってどんな体勢で誰にどんな声で話すかなどなど。

実は段取りを決めることの意味は、その動きをすることではなくて、そこから役柄の目的を明確にしていくことかもしれません。

そう動くことによって初めて役柄のことがわかってくる。

その目的さえ掴んでしまえば他の動きでも良いのかもしれません。

今日の稽古はちょっと難しい話になりましたが、演技においてとても大事なことです。

今月はこんな感じで稽古が進んでいきます。

だんだんと掴んでいければと思います。



2014年11月26日水曜日

これまでの成果、これからの経過。

11月18  そよ風ペダル
 
歌のことを全員で共有しました。
 
というわけで、今日の創作シーンは舞台上で歌詞についてて話し合うシーンと、ダンスの練習をしていくシーン。
 
作品の本質が表れてくるとても大切なシーンです。
 
決して演技を作るための稽古というわけではなく、脚本をどうするかのための稽古です。
 
配役も決まってないわけで、雰囲気をつかむため脚本を持ちながら 立ち稽古を進めています。
 
演技をどうこうはしていないのですが、すでに一度公演しているからか、みなさんが公演回数を重ねられたからか、演技のやりとりがしっかりなされています。
 
脚本完成は年明けを予定しているとなこと。
 
みなさんとしては早く本稽古を始めたいと。
 
筒井さん曰く、きっと短期間で創作しきれてしまうのではないかと。
 
今日の稽古を見ていると確かにと納得できます。
 
ただ配役は変わるのでセリフ覚えが早くできればという前提はありつつですが。
 
それは何度も繰り返せば大丈夫と端から見ている立場では気楽に言うのですが。
 
なんであれ、真摯に丁寧に創作していきましょう。
 

2014年11月18日火曜日

情念を稽古にとりいれる。

11月18日 恍惚一座
 
 
ラジオ体操の動画が上手く流れないので、アップ代わりのゲームを。
 
人数分の椅子に全員座り、鬼を一人決めます。
 
鬼は自分の座っていた椅子から遠いところからスタートして、空いている椅子に座りにいきます。
 
座っている人は鬼を座らせないように席を移動していく。
 
椅子とりゲームです。
 
鬼の位置と空いている席と周りの人の動きと、いろんなことを同時に意識しないといけません。
 
質の高いチームプレーがと言えば簡単ですが、具体的にどうすれば良いかが。
 
鬼がゆっくり動いても上手くいかなくて。
 
きっとコツがあるはず、考察したいところです。
 
先週の稽古で最初の数ページをやった沈黙です。
 
今日は最初から最後までみんなで読んで内容を把握します。
 
テーマがシリアスなのは先週で予想していましたが、キャラクターの描かれ方もなかなかに情念のこもっている作品です。
 
来週からこの脚本を使って稽古に入るわけですが。
 
このシリアスな作品、案外に恍惚一座にはまるかもしれません。
 
来週からの稽古が楽しみです。
 

2014年11月12日水曜日

road to Now Here.

11月11日 そよ風ペダル

モロモロウロウロ再考中。

前回の稽古で懸案になった、ダンスをする動機が生まれるシーンを筒井さんが書いてこられました。

読み合わせから立ち稽古につなげていきながら、その動機を掴んでいきます。

例の何人かが縦に並んで、顔で少しずつずれてぐるぐる回るダンスが実は大事なことになっていて。

人数がいないと成立しないダンスを一人で練習していたということ。

踊りのうまい下手と踊る必然性をわけて考えないと掴みきれない。

踊りたいかどうかは別にして、踊ることに意義は見いだせるのではないでしょうか。

その後ダンスする曲の歌詞を解釈し直します。

ダンス曲はトーキングヘッズのRoad To Nowhere。

この歌で描かれている事と、モロモロウロウロで描かれていることには共通する部分もあり。

それはプロモーションビデオにも含まれていると。


参考までにご覧ください。

そしてホワイトボードを使いながらの作品の本質が語られていきます。

不在の人、生きている人、死んでいる人が縦に並んで横軸が時間になります。

生きていることが有で死んでいることが無であるならば、この不在の人はなんなか、有なのか無なのか。

筒井さんからひとつの考えが提示されましたが、きっとそれは答えではないでしょう。

ただ創作を進める上でのそよ風ペダルの中での土台になるものです。

それぞれの答えを見い出していきましょう。


来るもの拒まず、去るもの追わず。

11月11日 恍惚一座
発声練習です!
公演稽古になって早い段階でなくなりましたが、先週に山口さんからの課題のひとつに声のことがあったわけで。
声量やら聞き取りやすさ。
天使を飛ばしたり、唇を震わせたり、腕を両方から引っ張られたり。
何事も積み重ねです。
これは稽古場だけでなく、お家でも練習したいところですが、近所迷惑にならない程度に。
続けて連想ゲームを。
アイコンタクトで連想した言葉をランダムに相手に託されていく。
セリフを相手に届けるということですが、これも先週の山口さんからの課題から考えるなら即興や反射的に対応すること。
舞台はナマモノですから、その瞬間その瞬間で何が起こるかわかりません。
稽古は積み重ねますが思わぬ演技が出てくることがあります。
そこにいい悪いはありませんが、対応できなくて場が止まってしまったら困ってしまいます。
相手から託された予期せぬ言葉を反射的に連想して言葉にする。
来たものを拒まず、引き留めず出していく。
単なるゲームに見えて奥深いのです。
そして、これからのメインの稽古は脚本を使って。
石原燃さんの沈黙。
死刑制度をテーマにしたなかなか社会派な作品です。
これも前回の山口さんからの課題で、脚本解釈に挑戦です。

そのシーンの目的と登場しているキャラクターの目的を読みといてみる。
チームにわかれて読みあわせしつつ、作品について話し合います。
まずはどんな場所か、舞台をどう設えるかから、キャラクターの立ち位置を決めていきます。
今日は最初の数ページを配って。
来週は作品すべてを読んでみます。
稽古が始まりました。

2014年11月9日日曜日

私たちはまた、踊れるのでしょうか。

11月4日 そよ風ペダル

モロモロウロウロ再考が続きます。

まずは筒井さんからの短くする箇所の提案。

シーンを何個か飛ばしつつ、折り込みつつ繋いだシーン展開を。

それとキーパーソンが語る独白を短くして。

実際に立って演じてみながら、どう見えるかを確認していきます。

みなさんも宿題として短くするやり方を考えてこられています。

どんな風に考えてカット作業をしたかを発表して話し合って。

議論が加熱したのはダンスについて。

最後はダンスで締めくくるわけですが、前回公演の時になぜダンスをすることになったのかが掴みきれなかったと。

話を聞いていて、確かにダンスが踊れるかどうかは(身体能力の意味でなく)作品の根幹に関わっているように感じました。

前回の記事でも書きましたが、私はモロモロウロウロの本質は喪失感だと思っています。

この喪失感を核にした作品がダンスで終わるということはどういうことでしょう。

作品の中では詳しく説明されていません。

さじ加減ですが、そこを言葉にしてしますのは野暮というものでしょう。

知って認識してもらいたいのではなく、感じて動いてもらいたいのですから。

知識ではなく感動を。

さておき、ダンスをする動機ということなんですが、それぞれ自由に考えてもらえればいいと思います。

動く機会なんていつでも人それぞれですから。

踊れなかったり踊りたくなかったりするかもしれません。

それはそれで持ち続けた上で、それでもなお踊るということさえも表現になるのですから。

踊らされたっていい。

ただ、踊ったということを最後に受け止められれば。

踊ったあとに何かが変わるのか、変わらないのか。

とにもかくにも今回も踊ります。

踊らないより踊った方が、しんどいかもしれないけれど楽しいですから。

私たちはまた、踊ります。

2014年11月8日土曜日

相手と自分の間にあるジレンマ。

11月4日 恍惚一座

公演後のお休みが終わりまして、久しぶりの稽古です。

実は一部の人たちは別で稽古をされているのですが。

4月に京都のCTTに参加しました。

お客さまからの投票があるわけですが、好成績を残しましてCTTセレクションに参加することになりました。

前回公演の打ち上げにて、参加についてどうするかの話合いがなされました。

稽古期間が少ないこと、講師の山口さんがCTTに向けて稽古をするとして、スケジュールの問題で多く関われないこと。

そんなこんなも撥ね退けて、有志メンバーによっての参加となりました。

脚本も演出もメンバーが中心になっておこない、山口さんは完全にアドバイザーに。

まさに挑戦です。

どんな仕上がりになるか、大変楽しみです。



本日の稽古は恒例の前回公演の振り返りです。

まずは山口さんから、前回公演を踏まえて次回に向かっての課題を4つ。

いかに台詞を自分のものしていくのか、など。

話し合いは進んでいき、上演時間が長かったのではないかと。

脚本段階で全部のキャラに見せ所を用意しようとすれば、その分長くなるのは仕方がないわけで。

といって、目立たないキャラクターになるのもつまらない。

お客様に楽しんでもらい満足してもらうのが、もちろん大前提なわけですが、そのためには負担になることも起こってきます。

せっかくやるのですから楽しんでいきたいという気持ちもあります。

人の為にあろうとする姿勢には、自己犠牲が伴ってしまうのでしょうか。

相手のためと自分のための間のジレンマ。

お客様との関係性から始まる話ですが、例えば相手役との関わり方という事にも通じていきそうな予感がします。

いろんな課題があるという事は、成長する機会があるという事です。

来週からまた本格的に稽古が始まります。