2013年11月27日水曜日

読み方を変える。

11月26日 恍惚一座

稽古は毎回ラジオ体操から始まります。
先週からこれに加えて発声の稽古もルーティンになりました。
天使の発声から。
次回の公演ではみんないい声でお届けできることでしょう。

今日のメインのワークは朗読になります。
題材は湊かなえの「贖罪」。
始まりの4ページ分をペアになって朗読します。
ペアで話し合ってどういう配分で読むかを自分たちで決めます。
つまりは作品を解釈して、表現したいことを決めどうすればそれが伝わりやすいかを考えます。
要は自分自身で表現方法を考察する、自己演出のワークから。
作品は主役がとある人に宛てた手紙として書かれています。
ゆえに主役の主観で書かれていくわけですが、
現在と過去の話で分ける、
自分が言った言葉と他人から言われた言葉で分ける、
過去の中での時間の経過によって分ける、
状況説明と心情説明で分ける、などなど。
解釈の仕方はたくさんあります。


2013年11月20日水曜日

自分とは違うものになる。

11月19日 恍惚一座


前回公演についての話し合いやアンケートなどからの反省で
基礎稽古の中で発声をしなければならないということがありました。
というわけで、早速本日から発声稽古が始まります。
ずっと前にやったことがありますが、天使が飛んだりゴリラになったり猫になったり。
無理をせず楽しんでお腹から声を出す発声法になります。
動きがコミカルなので最初はやるのが恥ずかしいのですが、
だんだん慣れてくるとそれもなくなります。
舞台に立つ時に羞恥心というのはネックになってきますが、
図らずもそれを乗り越えることにも効果があるのかもしれません。

本日は稽古場に次回公演の脚本を書いてくれる方が来られました。
前回の公演のことも振り返りつつ次回の作品をどうしたいかを話し合いです。
恍惚一座のこだわりとして、笑いを生むということが重要になっているようです。
実はそれが一番難しいのですが。
どんな役柄がきてもチャレンジしようという意気込みをみんなで再確認して。
なんたって初めてで怪獣になったり中学生になったりしていますから。
映像作品だと、年相応であることや、性別が役柄と同じことが重要になりますが
舞台演劇はそうでなくても成立させることができますし、だからこそ面白かったりします。
さて、次回作はどんな作品になるのでしょう、楽しみです。

次回作に向けてインプロをもとにした基礎稽古を進めます。
今日は二人で何かしら会話をしていて、
手拍子をきっかけにして日本語から意味不明なよくわからない言語に切り替えて会話を続ける。
もう一度手拍子が来たら、また日本語に戻ります。
よくわからない言語は外国語っぽい感じになるのですが。
見ていて面白かったのが外国語っぽいのになった瞬間に手が動き始める。
当初ジェスチャーであって、それは言葉としての記号が奪われるので代わりに手が記号として使われていることから始まりました。
しかし回を重ねることに手の動きが記号としてでなく外国人が喋ってる時に自然と出てくる仕草に近いものになっているような。
まあ、日本人は普段の会話でそんなに喋りながら動かないので
手拍子の瞬間に仕草が増えることには違和感があるのですが。
例えば舞台においては表現として、普段の動きを少し強調することはあるかもしれません。
逆に日本語をしゃべっている時に外国人のような仕草が入るとどうなるか。
なんにせよ記号に見える動きと、自然に見える仕草のような動きの差がどこにあるのか。
見ていてとても興味深かったです。

2013年11月13日水曜日

日常の非日常。

11月12日 そよ風ペダル

今日のワーニャ伯父さんは三幕の終わり。
キャラクター同士が口論して諍いになるアグレッシブなシーンです。
対立するシーンというのは人の目を引きつけます。
話のテーマも口論したこと、諍いに巻き込まれたこと、目撃した経験はありますかというもの。
実は諍いに出くわすことは少ないのではないかという話もありましたが、
みなさんの年代として学生運動を体験しているので、
それは諍いの要であってというのが興味深かったです。
譲れない主張がぶつかり合うのを諍いというのであれば、
そのような強い主張を持つということが稀なことなのかもしれません。
なんにせよ諍いに対して注意が向かざるえない。
日常の中の非日常なのではないかと感じます。
第三者で関わると、それはまるで舞台を観ているような感覚になって面白く感じる。
そこに舞台の魅力のヒントが隠されてるのかもしれません。

演技のワークはセリフを喋る人を強調するために
一列に並んだ椅子に座って、セリフのある人だけが立ち上がって前に出てしゃべる。
まるで朗読劇のようです。
表現をシンプルにするからこそ、想像が刺激されて見えてくるものがあります。
なかなか見応えのあるシーンになりました。

ムーブメント。

11月12日 恍惚一座

今日は山口さんが別の仕事でお休みのため、
アシスタントの梶川が代講です。
先週、演劇の稽古には三種類あってボイス、インプロ、ムーブメントであるという話がありました。
今日は主にムーブメント、体で表現することをメインにワークを進めます。

2013年11月9日土曜日

シンプル故に見えてくるもの。

11月5日 そよ風ペダル

日常で演技してしまうことはありますか?
今日のお話のテーマです。
人とコミュニケーションをする時、多かれ少なかれ演技をしているように感じます。
どれくらいの度合いで演技をしていることになるのか。
自分の思っていることと別の行動をすると、それは演技をしていると普通には言われるんだろうなと。
でも実際の舞台に立っている時は、できる限り行動に思っていること(動機)を重ねるいって
演技してないように見せることを目指します。
事前に段取りを知っていて、客観的に動くのだとしても
その瞬間の反応で主観的に即時的に行動したように見せることを演技としたい。
日常と舞台において演技であったり客観性の捉え方が逆向きになってることがとても興味深く感じました。

プロンプターにセリフを任せて、演じ手は動きだけを担うワークが続きます。
今日の創作は濡れ場で少し動きの激しいシーンになります。
ジェスチャーでなく動きとして何ができるのか。
距離と視線と体や意識の方向性で見えてくるものもあります。
二人の距離が近づいたり離れるだけで空間の印象が変わります。
視線や体が相手に向かっているか自分に向かっているかで、プロンプターのセリフの聞こえ方が変わります。
これを踏まえて、あえて動きや方向を単純化します。
前列に演じ手、後列にプロンプター。
動きは椅子に座るか立つか、方向性はずっと客席に向かって。
何もしない、やらないことで見ている側の創造力が刺激され、より濡れ場がある種の妖艶さを持って立ち上がってくる。
面白い発見でした。


コンタクトとフォーカス。

11月5日 恍惚一座

公演を終えて10月中はお休みになり、久しぶりの稽古です。
まずは前回公演の振り返り。
山口クラスはなかなか団員の人数が揃わなかったので
公演稽古に入るのが遅くなり、本番前に余裕がなかったという反省点ありました。
次回の公演はすでに団員が揃っているわけで、今からだって準備に取りかかれます。
というわけで、次回公演の脚本をどうするかについて山口さんから報告。
山口さんは演出に演技ワークに集中して、脚本家を別の人に頼むことになりそうです。
演技ワークとして大きく3つ。
ボイスとムーブメントとインプロ、つまり発声と動きと即興。
さっそくインプロのワークがおこなわれます。
コンタクトとフォーカスのワークです。
ペアになって向かい合って立ちます。
リズムに合わせて1人が簡単な動き、ポーズをしていく。
もう1人は一拍遅れで相手のポーズを真似ていきます。
次はお題を決めてポーズの代わりにリズムに合わせてしゃべっていく。
こちらも一拍遅れでもう1人がしゃべっていく。
輪唱のような感じになります。
これを同時におこなっていきます。
つまり1人はポーズをリードしておしゃべりはついていく。
もう1人はこの逆でおしゃべりがリードでポーズはついていく。
できるかできないかはさして問題ではありません。
自分がどういう状態なのかというのを知ることが大事です。
また相手が変わるとやりやすさも変わります。
二人の間で何がどう作用しているのかを探るのも興味深いところです。
複雑なことをすると緊張して体がかたくなります。
失敗してもいいやと開き直ってリラックスした方がうまくいくのかもしれません。
相手とコンタクトする、発しながら受け止める場合には
このリラックスということがポイントになると感じました。

視線には方向性があります。
舞台上でもこの方向性によっていろんなことを表現できます。
みんなで1人を見れば(フォーカスを合わせれば)お客さんもそこに注意が向かいます。
相手のフォーカスを把握するということで相手の視線に入って目を合わせるワークをしました。
発展して視線を絶対に外さないといルールで相手を動かしてみたり。
視線の方向性は掴めるとして、距離をどう扱うかが課題として残りました。
距離を一定に保とうとしてしますので動きに広がりが生まれない。
ここのもコンタクトの要素がありそうな予感がします。
来週もこの感じでワークを進めていきましょう。

2013年11月3日日曜日

演劇にハマる。

10月29日 そよ風ペダル

先週から始まったボール体幹体操で今日も体を暖めます。
新しい動きも出てきて、みなさん少し息が切れていますがとても楽しそうです。
でも体操ばかりしていたら、劇団ではなく体操クラブになってしまいますから演劇のワークに入りましょう。

毎回ワーニャ伯父さんからテーマを取って、脚本創作のためのエピソード集めのためのお話し合いをしています。
次回作品の内容に関わりそうなので、ここでは書くのを控えていますが。
今日は思うところあって少しだけ。
テーマはみんなにわかってもらえない、自分のハマっていること、もしくはみんながハマっているけど、自分には全く興味のわかないこと。
例えば周りが野球とかサッカーの話をしているけど自分は関心がない。
自分は韓流ドラマが好きだけど、周りがこの魅力を共有してくれない。
ふっと気になりました。
いまこの時にやっている演劇はみなさんの周りにどう受け止められているのか。
演劇に対するイメージって特殊なものなのではないかと。
メジャーどころの宝塚や劇団四季を好きだという人がいるとして、
人とは違った趣味をお持ちなんですねって言われてしまいそうだなと。
演劇に対して親近感がわかないというか、日常生活の中に馴染んでない。
舞台は非日常だと思われますが、日常の延長線上にあるはずで。
以前にも書きましたが演劇は日常を豊かにできるものだし、そうあるべきだと思います。
演技を実際してみると普段見えない自分が見えてきたり、
今までとは違う他人やものごとへの見方ができるようになります。
舞台に立つという目的がなくとも、演劇に関われる機会がもっと増えれば何かが変わるかもしれません。
演劇に今関わっている人たちの間でも、「舞台を作る」といったこと以外に価値を見いだせると敷居は下がるのでは。
演劇は人間を扱うことなのですから、本当はとても身近なはずなんですがね。

今日の演技ワーク(というか実験ですね)はプロンプターが完全にセリフを担って、演じる人は動きだけで表現する。
セリフ内容に意識を向けて、口パクでセリフを言っているということにすると動きがなくなります。
かといってセリフをジェスチャーや手先に変換したところで、やはりそれはセリフ(言葉)の表現で動きではないように感じます。
セリフを離れて動きだけを生み出す。
演技のワークでいろんな音に反応して体を動かし表現するというのがあります。
プロンプターから受け止めるものを、セリフ内容だけでなく
声もしくは音も取り入れると何かが変わってくるかもしれません。
そのためにはプロンプターも脚本を読んで文字情報を伝えるだけでなく、
声の演技でいろんな情報を伝えなければなりません。
セリフを音声化する、そこにも何かしらの課題が隠されていそうな気がします。
たくさんの課題が詰まった興味深い稽古でした。