2013年2月16日土曜日

一つの体と複数の思い。


2月12日 山口クラス

本日は知らぬ間にみなさんが一歩前進していたのだと気づいた稽古でした。
円陣で席を入れ替わるいつものワークを椅子なしでおこないました。
なんだかいつもより進行していくさまがスムーズでゲーム自体に流れというかリズムが生まれていました。
舞台上でも言えるのですが、この流れがあるかどうかでシーンの意図の伝わりやすさや面白みが格段と変化します。
今日は手拍子の合図でテーマの切り替えもおこないました。
舞台上という見られている非日常の空間でいかに普段の身体の状態で演じるか。
意識的、無意識的を問わず私たちは普段の生活の中でいろいろなものを受け止め、同時にいろいろな思いを抱えて生きています。
しかし舞台に立ち演技をした瞬間に、ひとつの感情や与えられた台詞や段取りにとらわれてしまいます。
単純な動きの流れの中で、全体のリズムにのり、誰に向かって歩いているかを感じ、今がどのテーマになっているかを受け止め、その人のテーマの言葉を思い出し言葉を発する。
表れてくるものは身体がひとつなのでひとつの行動でしかないのですが、その向こうには複雑な情動(情動という言葉があっているのかはわかりませんが)が含まれています。
この複雑な情動は同じ行動をしているとしても、観ている人にはそれがあるのかないのかは伝わります。
山口クラスでおこなわれるさまざまなゲームは、ひとつの行動の中で複雑な情動を持つにはどうしたらよいのかを探求することも目的としています。

即興のワーク。即興では自然とその瞬間でいろいろ考え、話を展開していかなければなりません。話を展開するというところで課題が見えてきました。与えられた設定を説明してしまい、話がそこから進んでいかないという問題。しゃべらないという方法が提示されます。流れを作ろうと必死になりいろいろしゃべってしまいますが、実はそれは自分のところで流れをとめていることになる。
自分ひとりなんとかしようと頑張り過ぎないということです。
しゃべらないということは、状況を観察し相手の話を聞ける状態を作るということです。
相手の話を聞いて言葉が出てきたならば、そこにやり取りが生まれ話も自然と流れ始めます。
先ほどのゲームで例えるなら、一人でしゃべっている状態というのは目の前に相手が来たときにその人の言葉を思い出すためにいろんな言葉を積み重ねているのに近いように思います。
思考が目の前のその人を離れ、最初のときのテーマや言葉の方にいってしまってる。
そうなる前に目の前に来た人に謝って言葉を教えてもらった方がやり取りとして止まることなく続いていくのです。


この流れでの脚本稽古。台詞があるわけですがいかにそこから自由になるか。相手の台詞を聞いて動くこと。そのとき気にかかり受け止めたことを明確にすること。たくさんの切り替えを設定し頭の中を複雑にすること。演技の深度が深まったように感じました。