2013年12月25日水曜日

終わりにして始まり。

12月24日 そよ風ペダル

世間ではクリスマスイブですが、
どうであれ火曜日はそよ風ペダルの稽古です。
年末で一週お休みになるわけですし、
しっかり体操と発声をおこないます。
年内最後の稽古ですが、
早くも次回公演の脚本が届きました。
というわけで、さっそくオープニングシーンの創作が始まりました。
これまでチェーホフのワーニャ伯父さんを稽古してきましたが、
脚本のセリフを使って遊びます。
もはや本番に向けての
演出や工夫に取り掛かっているので
ここで詳しく説明できません。
ただ一言、なかなかインパクトのある
かっこいいシーンになっています。
これから微調整はするとして、
今日の稽古でシーンの骨組みはできあがりました。
プロンプワークで声の扱いについて
いろいろと試行錯誤した成果が発揮されています。

そして脚本にはしっかりとタイトルが載っております。

高槻シニア劇団 そよ風ペダル 第2回公演

そよ風ペダルの『俳優修業!』

一体どんな作品なのでしょう。
きっと続きのオープニング以降のシーンが
年明けに届くのでしょう。
公演は来年の5月末です。
お楽しみに。

2013年12月18日水曜日

声と人形。

12月17日 そよ風ペダル

年内の稽古をもう一週残して、
ついにワーニャ伯父さんの最後のシーンまで稽古が進みました。

いろいろな試行錯誤をしてきましたが、演じ手とプロンプターと言うところから始まり、
最終的に声の演じ手と人形という風に稽古場での言語が変化していきました。
通常なら舞台に立つ演じ手を主軸にしてシーンは進んでいきますが、
裏に控えているはずのセリフや声が主軸になって、それに操られて人形が動いていく。
逆転した創作が行われていたように感じました。


2013年12月11日水曜日

目に見えない表現。

12月10日 そよ風ペダル

筒井さんの公演がありまして、お休み明けの久しぶりの稽古です。
今日のワークテーマは早口で演じる。
いつも通り役柄のセリフと動きは別で担当します。
セリフを言う人は早口で言っていて、それに合わせて動いていきます。
つまりシーンの進行時間を速く展開するということ。
このことによって動きがシンプルになり、
やっていること、見せたいことが明確になるように感じました。
早口に合わせて動く側が全く動かないことと
とにかく動くことをワークでやってみました。
シーンのテンポやメリハリということがよく演技の課題に上ります。
例えば早口と普通のしゃべりとゆっくりなしゃべり、
速い動きと普通の動きとゆっくりな動き。
こういった事にこだわるだけでシーンの印象はガラリと変わります。
動かない、しゃべらないということも一つの表現になる。
空間を捉えての視覚的な表現もさることながら、
この目には見えない時間の表現というのも
舞台表現にとって大事な要素であることを改めて再確認したワークでした。

もう一人の自分。

12月10日 恍惚一座

恍惚一座の公演は来年の9月末ごろを予定しています。
公演脚本ができあがっての稽古を4月ごろから始めるという目途で稽古を進めています。
せっかくだし公演稽古が始まる前に発表会ができないかしらと
提案がありました。
まだ定かではありませんが、もしかすると春までに皆さんの前に立つことができるかもしれません。

朗読とインボケーションです。
本日も3作品。
三浦しをん作 「まほろば駅前多田便利軒」。
今井美沙子作 「もったいないじいさん」。
あまんきみこ作 「北風を見た子」。
ゆっくり落ち着いて読んでみることと、
簡単に言うとメリハリをつけて読んでみるということが課題となっています。
メリハリをつけるということに関しては、ここで説明するには少し難しいので置いておきます。
ゆっくり読むということについて。
もしかすると読み聞かせながら、聞いている自分があるといいのかと。
聞かせている人にどう聞こえるだろうと不安になって早くなってしまう。
でもそれは相手のことだからわかることはできなくて。
ならば自分の声を自分で聞いて作品を味わってしまえばいいのではないかと。
演技しているときも相手とのやり取りに反応する自分とは別に
その演技を観て楽しんでいる自分がいたりします。
少なくとも自分の声が聞こえているときはリラックスしている証拠です。
そんなことを意識すると変わるかもしれません。

先週は説明できなかったインボケーションについて。
山口さんが先週出演していたインプロ公演で
インボケーションをされていたので、ネタバレいなるため自粛しました。
舞台上には椅子が二脚、客席に向いて置いてある。
一人の演じ手が椅子に座り、自分のずっと手元に置いている品物が隣の椅子に置いてあるとして語りだす。
まずはその品物の形状や色、使用方法など一般常識としての説明。
その後自分の持ち物だからこその特徴やこだわりの説明。
演じ手は横を向き椅子にあるはずの品物に向かって語りだす。
演じ手と品物は友達以上恋人未満の関係性である。
演じ手は品物のあるはずの椅子に座り、品物として自分に語りだす。
何気なく見ていたその品物が、とても意味深いものに感じられてきて。
その変化が見ている方にも伝わってきて何とも言えない気持ちになります。
その人の人となりや、大袈裟に言うなら人生みたいなものが見えてきます。
積み重ねた時間の集積、シニアならではのワークかもしれません。

2013年12月4日水曜日

積み上げるイメージ。

12月3日 恍惚一座

朗読ワークの二回目です。
その前に二つほどゲームを。

3拍で名前をまわすゲームを。
1拍目で自分の名前、2拍目は誰かの名前、3拍目は手拍子で呼ばれた人がまたリズムにのってまわしていく。
これが馴染んできたら立ち位置を横に移動。
そこに立っていた人の名前が自分の名前になる。
自分の名前じゃなくなるので難しさが増します。

頭文字ゲーム。
最初の文字を与えられて、45秒で思いつく限りの言葉を言っていく。
「あ」の文字が与えられて、「赤」「秋」「雨」…などなどペアになって何個言えるか競います。
発想力が鍛えられそうですね。

ゲームで場が和んだところで朗読ワーク。
時間の都合で今日は三作品。
百田尚樹 作「モンスター」。
ウィリアム・ウィスナー 作「しごとをとりかえたおやじさん」。
川上弘美 作「センセイの鞄」。
読み手が選んできたわけですが、なんだか納得の選択だなと感心しました。
朗読ワークのテーマとして読点ごとに話を終わらせるのでく、前に進めていく。
横に並べていくのではなく、上に積み上げるイメージ。
技術的に上に積み上げるということがどういうことなのかはさておいて。
みなさんの中に朗読というのは淡々と読み進めるものだというイメージがあるらしく。
そのイメージはどこから来たのだろうと不思議に思いました。
積み重ねるとは何でしょう。
答えはこれからみんなで見つけていきましょう。

もう一つ並行してインボケーションというワークを始めました。
日本語に訳すと祈願。
詳しいワークの説明は理由があって来週にまわすとして。
確かに祈りのような不思議な感覚をやっている方も見ている方も得ました。
じんわりと心が温もりました。

2013年11月27日水曜日

読み方を変える。

11月26日 恍惚一座

稽古は毎回ラジオ体操から始まります。
先週からこれに加えて発声の稽古もルーティンになりました。
天使の発声から。
次回の公演ではみんないい声でお届けできることでしょう。

今日のメインのワークは朗読になります。
題材は湊かなえの「贖罪」。
始まりの4ページ分をペアになって朗読します。
ペアで話し合ってどういう配分で読むかを自分たちで決めます。
つまりは作品を解釈して、表現したいことを決めどうすればそれが伝わりやすいかを考えます。
要は自分自身で表現方法を考察する、自己演出のワークから。
作品は主役がとある人に宛てた手紙として書かれています。
ゆえに主役の主観で書かれていくわけですが、
現在と過去の話で分ける、
自分が言った言葉と他人から言われた言葉で分ける、
過去の中での時間の経過によって分ける、
状況説明と心情説明で分ける、などなど。
解釈の仕方はたくさんあります。


2013年11月20日水曜日

自分とは違うものになる。

11月19日 恍惚一座


前回公演についての話し合いやアンケートなどからの反省で
基礎稽古の中で発声をしなければならないということがありました。
というわけで、早速本日から発声稽古が始まります。
ずっと前にやったことがありますが、天使が飛んだりゴリラになったり猫になったり。
無理をせず楽しんでお腹から声を出す発声法になります。
動きがコミカルなので最初はやるのが恥ずかしいのですが、
だんだん慣れてくるとそれもなくなります。
舞台に立つ時に羞恥心というのはネックになってきますが、
図らずもそれを乗り越えることにも効果があるのかもしれません。

本日は稽古場に次回公演の脚本を書いてくれる方が来られました。
前回の公演のことも振り返りつつ次回の作品をどうしたいかを話し合いです。
恍惚一座のこだわりとして、笑いを生むということが重要になっているようです。
実はそれが一番難しいのですが。
どんな役柄がきてもチャレンジしようという意気込みをみんなで再確認して。
なんたって初めてで怪獣になったり中学生になったりしていますから。
映像作品だと、年相応であることや、性別が役柄と同じことが重要になりますが
舞台演劇はそうでなくても成立させることができますし、だからこそ面白かったりします。
さて、次回作はどんな作品になるのでしょう、楽しみです。

次回作に向けてインプロをもとにした基礎稽古を進めます。
今日は二人で何かしら会話をしていて、
手拍子をきっかけにして日本語から意味不明なよくわからない言語に切り替えて会話を続ける。
もう一度手拍子が来たら、また日本語に戻ります。
よくわからない言語は外国語っぽい感じになるのですが。
見ていて面白かったのが外国語っぽいのになった瞬間に手が動き始める。
当初ジェスチャーであって、それは言葉としての記号が奪われるので代わりに手が記号として使われていることから始まりました。
しかし回を重ねることに手の動きが記号としてでなく外国人が喋ってる時に自然と出てくる仕草に近いものになっているような。
まあ、日本人は普段の会話でそんなに喋りながら動かないので
手拍子の瞬間に仕草が増えることには違和感があるのですが。
例えば舞台においては表現として、普段の動きを少し強調することはあるかもしれません。
逆に日本語をしゃべっている時に外国人のような仕草が入るとどうなるか。
なんにせよ記号に見える動きと、自然に見える仕草のような動きの差がどこにあるのか。
見ていてとても興味深かったです。

2013年11月13日水曜日

日常の非日常。

11月12日 そよ風ペダル

今日のワーニャ伯父さんは三幕の終わり。
キャラクター同士が口論して諍いになるアグレッシブなシーンです。
対立するシーンというのは人の目を引きつけます。
話のテーマも口論したこと、諍いに巻き込まれたこと、目撃した経験はありますかというもの。
実は諍いに出くわすことは少ないのではないかという話もありましたが、
みなさんの年代として学生運動を体験しているので、
それは諍いの要であってというのが興味深かったです。
譲れない主張がぶつかり合うのを諍いというのであれば、
そのような強い主張を持つということが稀なことなのかもしれません。
なんにせよ諍いに対して注意が向かざるえない。
日常の中の非日常なのではないかと感じます。
第三者で関わると、それはまるで舞台を観ているような感覚になって面白く感じる。
そこに舞台の魅力のヒントが隠されてるのかもしれません。

演技のワークはセリフを喋る人を強調するために
一列に並んだ椅子に座って、セリフのある人だけが立ち上がって前に出てしゃべる。
まるで朗読劇のようです。
表現をシンプルにするからこそ、想像が刺激されて見えてくるものがあります。
なかなか見応えのあるシーンになりました。

ムーブメント。

11月12日 恍惚一座

今日は山口さんが別の仕事でお休みのため、
アシスタントの梶川が代講です。
先週、演劇の稽古には三種類あってボイス、インプロ、ムーブメントであるという話がありました。
今日は主にムーブメント、体で表現することをメインにワークを進めます。

2013年11月9日土曜日

シンプル故に見えてくるもの。

11月5日 そよ風ペダル

日常で演技してしまうことはありますか?
今日のお話のテーマです。
人とコミュニケーションをする時、多かれ少なかれ演技をしているように感じます。
どれくらいの度合いで演技をしていることになるのか。
自分の思っていることと別の行動をすると、それは演技をしていると普通には言われるんだろうなと。
でも実際の舞台に立っている時は、できる限り行動に思っていること(動機)を重ねるいって
演技してないように見せることを目指します。
事前に段取りを知っていて、客観的に動くのだとしても
その瞬間の反応で主観的に即時的に行動したように見せることを演技としたい。
日常と舞台において演技であったり客観性の捉え方が逆向きになってることがとても興味深く感じました。

プロンプターにセリフを任せて、演じ手は動きだけを担うワークが続きます。
今日の創作は濡れ場で少し動きの激しいシーンになります。
ジェスチャーでなく動きとして何ができるのか。
距離と視線と体や意識の方向性で見えてくるものもあります。
二人の距離が近づいたり離れるだけで空間の印象が変わります。
視線や体が相手に向かっているか自分に向かっているかで、プロンプターのセリフの聞こえ方が変わります。
これを踏まえて、あえて動きや方向を単純化します。
前列に演じ手、後列にプロンプター。
動きは椅子に座るか立つか、方向性はずっと客席に向かって。
何もしない、やらないことで見ている側の創造力が刺激され、より濡れ場がある種の妖艶さを持って立ち上がってくる。
面白い発見でした。


コンタクトとフォーカス。

11月5日 恍惚一座

公演を終えて10月中はお休みになり、久しぶりの稽古です。
まずは前回公演の振り返り。
山口クラスはなかなか団員の人数が揃わなかったので
公演稽古に入るのが遅くなり、本番前に余裕がなかったという反省点ありました。
次回の公演はすでに団員が揃っているわけで、今からだって準備に取りかかれます。
というわけで、次回公演の脚本をどうするかについて山口さんから報告。
山口さんは演出に演技ワークに集中して、脚本家を別の人に頼むことになりそうです。
演技ワークとして大きく3つ。
ボイスとムーブメントとインプロ、つまり発声と動きと即興。
さっそくインプロのワークがおこなわれます。
コンタクトとフォーカスのワークです。
ペアになって向かい合って立ちます。
リズムに合わせて1人が簡単な動き、ポーズをしていく。
もう1人は一拍遅れで相手のポーズを真似ていきます。
次はお題を決めてポーズの代わりにリズムに合わせてしゃべっていく。
こちらも一拍遅れでもう1人がしゃべっていく。
輪唱のような感じになります。
これを同時におこなっていきます。
つまり1人はポーズをリードしておしゃべりはついていく。
もう1人はこの逆でおしゃべりがリードでポーズはついていく。
できるかできないかはさして問題ではありません。
自分がどういう状態なのかというのを知ることが大事です。
また相手が変わるとやりやすさも変わります。
二人の間で何がどう作用しているのかを探るのも興味深いところです。
複雑なことをすると緊張して体がかたくなります。
失敗してもいいやと開き直ってリラックスした方がうまくいくのかもしれません。
相手とコンタクトする、発しながら受け止める場合には
このリラックスということがポイントになると感じました。

視線には方向性があります。
舞台上でもこの方向性によっていろんなことを表現できます。
みんなで1人を見れば(フォーカスを合わせれば)お客さんもそこに注意が向かいます。
相手のフォーカスを把握するということで相手の視線に入って目を合わせるワークをしました。
発展して視線を絶対に外さないといルールで相手を動かしてみたり。
視線の方向性は掴めるとして、距離をどう扱うかが課題として残りました。
距離を一定に保とうとしてしますので動きに広がりが生まれない。
ここのもコンタクトの要素がありそうな予感がします。
来週もこの感じでワークを進めていきましょう。

2013年11月3日日曜日

演劇にハマる。

10月29日 そよ風ペダル

先週から始まったボール体幹体操で今日も体を暖めます。
新しい動きも出てきて、みなさん少し息が切れていますがとても楽しそうです。
でも体操ばかりしていたら、劇団ではなく体操クラブになってしまいますから演劇のワークに入りましょう。

毎回ワーニャ伯父さんからテーマを取って、脚本創作のためのエピソード集めのためのお話し合いをしています。
次回作品の内容に関わりそうなので、ここでは書くのを控えていますが。
今日は思うところあって少しだけ。
テーマはみんなにわかってもらえない、自分のハマっていること、もしくはみんながハマっているけど、自分には全く興味のわかないこと。
例えば周りが野球とかサッカーの話をしているけど自分は関心がない。
自分は韓流ドラマが好きだけど、周りがこの魅力を共有してくれない。
ふっと気になりました。
いまこの時にやっている演劇はみなさんの周りにどう受け止められているのか。
演劇に対するイメージって特殊なものなのではないかと。
メジャーどころの宝塚や劇団四季を好きだという人がいるとして、
人とは違った趣味をお持ちなんですねって言われてしまいそうだなと。
演劇に対して親近感がわかないというか、日常生活の中に馴染んでない。
舞台は非日常だと思われますが、日常の延長線上にあるはずで。
以前にも書きましたが演劇は日常を豊かにできるものだし、そうあるべきだと思います。
演技を実際してみると普段見えない自分が見えてきたり、
今までとは違う他人やものごとへの見方ができるようになります。
舞台に立つという目的がなくとも、演劇に関われる機会がもっと増えれば何かが変わるかもしれません。
演劇に今関わっている人たちの間でも、「舞台を作る」といったこと以外に価値を見いだせると敷居は下がるのでは。
演劇は人間を扱うことなのですから、本当はとても身近なはずなんですがね。

今日の演技ワーク(というか実験ですね)はプロンプターが完全にセリフを担って、演じる人は動きだけで表現する。
セリフ内容に意識を向けて、口パクでセリフを言っているということにすると動きがなくなります。
かといってセリフをジェスチャーや手先に変換したところで、やはりそれはセリフ(言葉)の表現で動きではないように感じます。
セリフを離れて動きだけを生み出す。
演技のワークでいろんな音に反応して体を動かし表現するというのがあります。
プロンプターから受け止めるものを、セリフ内容だけでなく
声もしくは音も取り入れると何かが変わってくるかもしれません。
そのためにはプロンプターも脚本を読んで文字情報を伝えるだけでなく、
声の演技でいろんな情報を伝えなければなりません。
セリフを音声化する、そこにも何かしらの課題が隠されていそうな気がします。
たくさんの課題が詰まった興味深い稽古でした。

2013年10月20日日曜日

作為的なハプニング。

10月15日 そよ風ペダル

いつもは体操と発声で体づくりをしています。
今日から新しい身体ワークが始まりました。
フィットネスボールを使った体幹トレーニングです。
アップテンポな音楽にあわせて体を動かします。
ボールを持って腕を交互に上げたり、膝の後ろにボールを挟んで上下に動かしたり、お尻や背中や頭の上にボールを置いて圧をかけたり。
地味な運動なのにとてもしんどそうです。
しんどいということは、体に効いているということなのですが。
みなさん楽しく健康になっていきます。

演技ワークは前回からの続きで喋り方自体をプロンプターが作って、俳優がそれを受け止めて演じる。
今日はひとつの役を1人の俳優とプロンプターで演じる。
セリフだけでなく演技のやり方を声だけで伝えられるかに重点が置かれます。
当初の目的として派手な演技をするというのがありました。
プロンプターの目的は俳優に派手な演技をさせることになります。
プロンプターに熱が入り、俳優に送るセリフが本セリフのように扱われて、俳優がセリフを言う前に相手のプロンプターが次のセリフを言ってしまう。
プロンプター同士の演じ合いになってしまったり。
そしてプロンプターがどんどん俳優に近づいていってしまったり。
最後に役の人数のプロンプターに対して俳優がひとり。
プロンプターの要求する演技によって、俳優は役の演じ分けをおこなっていきます。
さまざまな試みをして稽古場ではいろんなハプニングが起こります。
ハプニングに対して笑いが生まれてきます。
この笑いを本番の舞台でもと考えています。
つまり偶発的であるはずのハプニングを作為的に作り上げ、
なおかつそれが作為でなくその場で起こったものだと見せていく。
ハプニングの原因を分析する必要が出てくるのかもしれません。
ハードルの高い演技を目指していきます。

2013年10月14日月曜日

公演情報!


高槻シニア劇団 恍惚一座 第1回本公演

『ゴジラ』


2013年10月 高槻現代劇場にて
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演出=山口茜
脚本=大橋泰彦
■日時
10月13日(日) 14:00 ※満席。当日券はキャンセル待ち。
10月14日(月) 11:00/15:30
※開場は開演の30分前
■場所
高槻現代劇場 レセプションルーム(高槻市野見町2-33文化ホール3階)
■料金
前売り1500円 当日1800円 シニア料金1000円(50才以上)前売りは日時指定です。
出演:あるふ、上西千恵子、大村耕治、杉岡浩子、中井香奈江、西川惠美子、藤村光惠
三田ゆうこ、望月重貴、望月昌子、森田京子、山地美子、
1986年11月21日16時27分、伊豆大島 三原山。

深まりゆく夕暮れを、黒煙が半分以上覆いつくし、
逃げ惑う人々をひとり、またひとりと消してゆくその様は、
まるで終末を迎えた地獄絵のごとく。

三原山火口の中央は、今にもあの灼熱の溶岩が噴き上がるはずだった。

しかし、暗雲立ち込める中、黒煙を割って現れたのは、
天使を夢見る一人の少女と、
そして……ゴジラだった!
■チケット取扱い
高槻現代劇場(〒569-0077  大阪府高槻市野見町2-33)
電話 072-671-9999(10:00~17:00)
高槻現代劇場HPからもお求めいただけます。
発売日【一般・友の会とも8月26日(月)】
窓口・web 10:00~ / 電話14:00~

2013年10月9日水曜日

もうすぐ本番です!!

10月8日 恍惚一座

今週末ですね、本番。
ついにここまで来ました、恍惚一座。
今日は広めのお部屋で通し稽古です。
確かにまだまだ未完成です。
実は今回の恍惚一座は、シニア劇団では珍しく
会場であるレセプションルームで稽古ができていなかったり。
新たなことがここにきてどんどん増えている気がします。
それに喰らいついていくみなさん。
だからこそと、目の輝きもどんどん増していっています。
まだまだ自主稽古をする機会がありますので、
13日14時までとことん作品を創作していきます。
もうリラックスした体で演技ができれば、中にあるものが自然と溢れてくるはずです。
それが一番難しいことだったりするのですが。

何はともあれ恍惚一座第1回公演です。
演劇をはじめれば誰にだって、初舞台は訪れます。
そんな時は誰だって臆病になってしまうかもしれません。
だからこそ「大丈夫、任せろ」と胸を叩いてライトの中に飛び込んでいくのです。
胸を張って恍惚一座がお届けします「ゴジラ」。
劇場でお待ちしております、ご期待ください。

2013年10月5日土曜日

セリフから離れて、聞く状態を維持する。

10月1日 そよ風ペダル

本日のワーニャ伯父さんを使っての演技ワークは
プロンプター一人にセリフを任せてシーンを作ってみよう。
まずは最初のハードルとして、プロンプターの声が
どの役柄のセリフなのか、もしくはト書きなのかをどう伝えるか。
そこで筒井さんからの提案。
プロンプターはその役者の演技指導をするつもりで
声で先に演じてしまい、こんな感じの演技というのを伝える。
役柄を演じ分けたり、セリフの役者に演技指導をしようと視線をやるので
自然と誰へのセリフもしくはト書きなのかがわかってきます。

役者はプロンプターに信頼を寄せセリフを任せることによって、
演じることに集中できるようになります。
つまりセリフや言葉を言わなければならないという負担から自由になります。
これで何が起こるかというと、体で演技を作ることができます。
即興の演技に近いように思います。
より良い即興演技は言葉を考えることなくその場で生み出されていきます。
何を話そうとまごつくと、即興は停滞してしまいます。
事前にセリフがあるにも関わらず、その場でセリフが生まれているように見える。
セリフや脚本から役者がいかに距離をとって自由になれるか。
難しい課題を乗り越える一つのヒントがあるように感じます。

そしてまた、別の効果があることに気づきます。
人が普段の生活で話をする時、話をしながら実は同時に自分のしゃべっていることを聞きながら確認しています。
自分のしゃべっていることに反応して話が発展していくこともあります。
もちろん誰かが話しているときには、その人の話を聞いて反応しています。
プロンプターを交えて演技を作っていくという仕組みだと、
役者は自分のセリフ中であれ、相手のセリフ中であれ常に聞く状態を維持しなければなりません。
自分のセリフの時はプロンプターの声を聴かないといけないし、
相手の話しているときも、いつ自分のセリフに移ってくるかわからないので、
プロンプターへも相手役へも意識を向けていなければなりません。
この聞くという状態を維持するのは案外に難しいことです。
脚本にはセリフしか書かれていないので自分のセリフだけ言って
あとは次の自分のセリフまで待ってしまうということが起こりがちです。
自分のセリフでないときに聞く状態を続けられると
演技が続いていき、舞台に参加し続けることになります。
つまりは役柄がしっかり存在し、舞台に息づく生きることができます。
役柄の表現が豊かになるということに繋がります。
とても興味深い稽古となりました。

最初のお客さん。

10月1日 恍惚一座

10月になりました。
本番がどんどん近づいてきます。
というわけで、今日はスタッフさんが稽古場にそろっての通しです。
いわゆるスタッフ見せと言うものです。
小道具も衣装もだいたいそろって、本番を想定していきます。

スタッフ見せと言うのは、役者さんからするとはじめてお客さんに見せる感じだなと。
もちろんスタッフさんは同じ創作側の立場なんですが。
役者からすると、見てもらうということである面ではお客さんとして意識する部分もあって。
見てもらって楽しんでもらえたなら、スタッフさんを作品や劇団の最初のファンにすることができれば何かが変わる気がします。
だからこそ、とても緊張してしまったりするんえすが。

自主練習を積み重ねてきて、前回の通しより格段と役柄に近づいてきています。
立ち上がりは少しかたかったですが、シーンが進むにつれて
のびのびと演技ができはじめ、スタッフさんからも笑いがこぼれます。

通し終わりにまとめて山口さんから演技についての変更や提案の話が。
気づくとこの光景は初めて見たなと。
今までも稽古場に山口さんがいて、いろいろ話されていましたが
話の内容の比重は立ち位置であるとかの基本的なことが多かったように思います。
つまり役者さんにシーンを預けて生み出されるものをじっくり待っていたような。
そういう自分で考えることを通して役者さんの側に演技の準備が整い、シーンのベースができあがってきました。
ここに山口演出を加えてバージョンアップです。
それこそ劇的に作品が化ける予感がします。

2013年9月28日土曜日

不自由の中でこそ生まれるもの。

9月24日 そよ風ペダル

今日の脚本からのお話のテーマは「あなたの夢はなんですか?」。
いろんな話が聞けましたが、なぜか前回の東京オリンピックの話に。
学校の体育館で一台のテレビでみんなで競技を見た思い出が語られました。
そんなこと今は考えられないなと。


さておき、公演稽古です。
プロンプターが一役に対して一人、演じる人は一役に対して二人。
これまでの稽古でやったことをミックスです。
二人の役者はシンクロして、ユニゾンして一つの役を演じる。
完全に実験です。
提案している筒井さんもうまくいかないのではないかという疑いがぬぐいきれません。
最初はしっちゃかめっちゃかで、それが面白い。
しかしだんだんと慣れてくると、別の面白みが立ち現れます。
決してすべてがうまくいっているわけではないのですが、
笑いの面白さから、興味深い面白さに。
役者さんがいろんなものに操られ制限をかけられます。
プロンプや同じ役の相手を意識に入れながら相手役とやりとりをする。
とても不自由な中で、しかしだからこそみなさん特有ののびのびとしたものが強調され。
いい感じで力が抜けて立ち姿が美しいなと。
何が正解かわかりませんが(そもそも正解なんてありませんが)
この方法でシーンを作れる可能性は開かれているような。
最終的な答えより、過程での方法にこそ意味があるように感じます。
この方法が極まったものを見てみたくなりました。

役柄に集中する。

9月24日 恍惚一座

シーン稽古をこれまで積み重ねてきて、久しぶりの通し稽古です。
本番も近づきてきて、作品を仕上げにかかり始めます。
まずはダンス稽古から。
フリは結局は音楽のリズムに合わせるのですが、
全体の動きでも揃えていきたいのでそのための呼吸を合わせるワークを少し。
空間の空いているところをみんなで埋めていくという意識で歩き回る。
何の合図もなしに、みんなで同時に止まり、また合図なしで動き始める。
動きは歩く、ゆっくり歩く、速足で歩くを瞬間的にみんなで合わせる。
外から見ていて動き出しが一緒になるようにする。
まわりを探りすぎても合わないし、無視しすぎても合わない。
ダンスのフリを合わせるためのワークでしたが、
舞台上の役者のあり方として大切なような。
探りすぎず無視しすぎない、バランスの良い集中。
これがいわゆるリラックスした状態だと。

脚本をはずして、プロンプを入れながらの通し稽古。
どうしたってセリフが言えるか不安で頭でセリフを追いながら演技をしてしまいます。
セリフを間違ったり、出てこないといわゆる素に戻るということが起こります。
セリフに集中して演技をしてしまいます。
つまりは役柄がおざなりになっている。
これだと舞台上にはセリフだけがある状態で人物は生きていません。
それであれば、脚本を読めばいいわけで。
おそらくはセリフのないときに何をするかです。
しゃべっていないときにも役柄は生きています。
そのとき役柄は何を思い、何を考え、どんな目的を持って行動しているのか。
セリフに集中することから、役柄への集中へシフトしていく段階に入っています。

2013年9月21日土曜日

自分の中を見つめる。

9月17日 そよ風ペダル

今日の演技ワークは二人のシーンを片方は一人の役者が演じ、
もう一人の役柄は複数の役者で演じるということを試しました。
複数の役者で句点でセリフを言う人が変わっていく。
前の人に刺激され、負けないように積み重ねて演技を派手にしていく。
負けじと頑張るので明らかに声や動きがどんどん大きくなってきます。

後半で一人が演じる役は退場して、長い独白になります。
この部分も複数で演じます。
これにより、独白のセリフのはずがその人数の役柄が会話をしているように見えて興味深いです。
まるで何人もの自分が会議をしているような、
頭の中での考え事ってこんな感じな気がします。

一人であるアイデアを思いつき、
そのアイデアに対して自分で疑いを持ち、
自分のことなのにわからなくなり、
それでもなお支えようと自分を励ましていく。

日常では聞く相手がいなければこんなに長く独り言を言わないのですが。
独白というのは一人で語っていくものではないのだなと。
自分の中にある多面の性格が互いに意見を交わしている。
一人の同じ人と考えるよりは、セリフの中で区切りやきっかけ(そのわかりやすい一つの方法が句点)をさがして性格を変えていく。

ワーニャ伯父さんは長いセリフが多いです。
もしかすると独白に限らず、相手がいても長いセリフの中で
キャラクターの性格を変えていく、もしくは最早別のキャラクターなのだと考えると
字面以上に短く表現の幅の広い演技になるでしょう。
最後の締めに1対全員。
一人の中にこんなにたくさんのキャラクターがいるのです。

ルールを飛び越えるために。

9月17日 恍惚一座

今日はダンス稽古から。
先週に動画を撮影されていたので、自主的に練習されていたようです。
振付はすでにみなさんほぼ覚えられています。
細かい所はさておいて、どっしり落ち着いて、前を見て背筋をまっすぐ伸ばせたら出来上がりです。
あとは繰り返して慣れることですね。

山口クラスには作品創作においていくつかのルールがあります。
カタチだけの演技ではなく、嘘をつかずにやりきる。
相手にこういう演技をしてと言わない。
できない、難しいという発言をしない。
明言されていませんが、もうひとつルールがあることに気づきました。

演技はまず、実際に役者がやってみる。

ハードルの高いルールだなと感じます。
言ったところで初舞台なわけで、演技とは何なのかの発想や方法をそんなに持っているわけではありません。
それでもなお、自分なりのやり方で自分の体で表現できることを試していく。

山口さんからこれだけはと要望される方法は、
誰にセリフをしゃべっているかをはっきりさせること。
そして、相手の話を聞いてしゃべりたいという理由の上で話す。

このことをよりどころにするだけで、実はいろんなことができます。
言い方を変えるなら、これさえできていれば何をやってもいいのです。
このことに気づいている人とそうでない人では演技の質が違います。
このことに気づくだけでのびのびと自由になっていきます。
しかし言葉で説明しても実感できるものではなく。
自分の中できっかけを掴んで気づいていくしかありません。
何にせよ、求められる自主性の高さとそれに答えるみなさんの姿勢は素晴らしいのです。

2013年9月15日日曜日

脚本解釈とプロンプと

9月10日 そよ風ペダル

ワーニャ伯父さんの2幕の始まりを復習してテーマを出しての話し合い。
以前の話し合いでは自分に置き換えての体験談や、
そのテーマに対する考えを発表するという感じでした。
しかし最近の話し合いは、自分の実感の持っていることからの発表ということは変わりませんが
脚本の中でなにが描かれているのか、役柄が何を感じているのかといったことがよく話題に上ります。
言ってしまうなら脚本解釈をしているようです。
役者さんの発想で作品とつきあっている。
その解釈が正しいかどうか、作家の思想とあっているかは問題ではありません。
自分で考え想像することが大事です。
考え決断していかないと、演じる拠り所はないわけですから。

今日は初見のつづきのシーンをプロンプターで遊びました。
プロンプターとは脚本を持っていて、役者が台詞につまったときに次の台詞を言う人のことです。
役者は台詞を覚えていませんが脚本を持たず舞台に出て行く。
しかしその役者のすぐ横にはプロンプターが影のように付き添っていて。
台詞を全て言ってくれるのでそれを聞いて役者は演技を続けていく。
いろいろ起こってかなり面白かったのですが。
その面白さに自分で笑ってしまってプロンプができなくなったり。
こちらもまた次回公演のひとつの仕掛けとして使うので
詳しく何が起きたかは解説できませんが。
プロンプにも上手い下手があるという発見は興味深かったです。
かなり面白い仕掛けになりそうです。

ダンスとテレパシーと

9月10日 恍惚一座

高槻シニア劇団のもうひとつのクラス「そよ風ペダル」の
前回公演「モロモロウロウロ」では
物語の中でダンスを皆でしようということになりました。
稽古場では毎週30分で千手観音やらウェーブやらいろんな振りを練習しました。
恍惚一座も負けじと(別に競っているわけではありませんが)
作品の中に歌とダンスを盛り込みます。
振付けができあがり今日のところはみなさんに紹介を。
お家で自主練習するために携帯で撮影会です。
見よう見まねで踊っている人もいましたが、すでにほぼマスターしているような。
今回のダンスのポイントは動くことよりも止まることを意識すること。
手の先まで意識してみんなで動きをシンクロさせる。
フリ自体は簡単なので、ビシッと揃えてかっこ良く決めたいところです。

今日の稽古はクライマックスからエピローグまでをシーン稽古して残り時間を最初からいけるところまで。
山口さんの演出の特色のひとつはそのシーンの状況を
別の似た状況を例として提出し置き換え
身近に感じられるものとして演技に説得力を持たせることです。
愛している恋人を傷つけようとする人にやめてくれ頼むシーンを
自分の子どもが知らない人に連れて行かれそうになっていることに置き換えます。
愛しているということが抽象的なのですが、具体的に我が子として想定してみる。

物語や役柄は他人が作り出したものなので、
どうしたって解釈する上で足りない部分があります。
それは他人の思いや気持ちを想像することはできても、
完全に把握することはできないことと似ています。

話しは逸れますがSF作品でテレパシーを表現する時に、
対象の考えが声として届くように描かれます。
本当にテレパシーがあるとして(日本語で精神感応と言いますが)
言葉に置き換えられている時点で沢山のものが足りないと思います。
役柄や感情を演じるとした時、テレパシーのように把握しようとするなら
きっと言葉以外のものを取り入れないと成立しないのだろうなと。
結局テレパシーは使えないので、単なるたとえ話ですけど。

悲しんでいる人を目の前にして、同情であれなんであれなぜだか自分も悲しくなる。
その悲しみはそれぞれ別のものかもしれませんが
別の悲しみだったとしてもその二人はきっと寄り添い合うことができるのでしょう。
演技において他人の創作と自分の創作が別のものだとしても
寄り添い合うことができたなら、そちらの方が実用的ではないでしょうか。

2013年9月7日土曜日

引継がれる派手さ。

9月3日 そよ風ペダル

演劇の前に私たちには仕事や家庭があります。
つまりは生活があります。
演劇は生活に彩りをつけ豊かにすることができます。
少なくともできると信じています。
しかし演劇はその彩るべき生活があってこそであったり。
生活のために、長くお休みををされていた方が
そよ風ペダルに戻って来られました。
なんだか今日はいつもより、稽古前の待ち時間がにぎやかです。
改めてそよ風ペダル、これからフルメンバーで再始動です。

今日はとことんワーニャ伯父さん。
2幕の始まりの二人のシーンを全員がどちらのキャラも演じてみる。
ペアを変えてどんどん発表していきます。
課題は先週に提示された派手な演技をいかにするか。
自分たちの前に発表したペアの演技に影響されることもありますが、
内から生まれてくる自分のやりたい派手な演技をとことん追求して行きます。
発表の回数が重なるごとに、ペアは変わっていっているはずなのに
派手さがどんどん増していき舞台上の場の熱が
どんどん引継がれて上がっていきます。
言葉では上手く説明できませんが
確かに派手としか言えないものです。
そよ風ペダルの派手さが見えてきました。

優先事項と変貌

9月3日 恍惚一座

今日の稽古場はいつもより広い始めてのお部屋。
舞台の大きさも決まってきて、稽古場に舞台セットのしるしをテープで区切っていきます。
空間が広くなって、みなさんの声がいつもよりのびのびと大きく聞こえてきます。
本番の空間は更に広くなります。
何と言っても客席がしっかり組まれます。
そこにたくさんのお客様がいて。
舞台の中だけでエネルギーを充満させるだけでなく、
客席までそのエネルギーを届けていく。

脚本を持っていいということで稽古は続いていますが、お守り程度。
みなさんの自発的な努力で、脚本から体がどんどん自由になっています。
脚本に目を向けることなくやり取りを繋げていくことに集中でき始めました。
山口さんから演出プランが伝えられますが
それよりも何よりも優先されるのは、
相手にちゃんと話しかけ
それをちゃんと聞いていること。
ちゃんとって何だろうとなりますが、
そこをこれから追求していきます。
どんなに演出や工夫、仕掛けがあっても
やり取りができていなければ面白さが伝わりません。

演出が邪魔になるならやり取りを優先して。

やり取りを優先させることによって、録音をして声だけの役柄が、実際に舞台に立って演じることになりました。
稽古を重ねるごとに、どんどん作品が変貌していきま

2013年8月28日水曜日

派手な演技、地味な演技。

8月27日 そよ風ペダル
今日のワーニャ伯父さんのテーマは派手な演技をしてみようでした。
派手な演技をしている役者を演じることが、次回作品に使えないかという試みです。
テンポよく役を回して皆さんのイメージする派手な演技を確かめていきます。

段取りを追加するとともに、筒井さんから見ていて足りないと感じた派手な演技のポイントを。
声の抑揚をつけて感情を大きく表してみる。
立ち位置が全く変わるような移動などの大きな動き。
長い台詞をしゃべる時などに、対話者から視線を離して、
客席に向かって堂々と台詞を発してみる。

最後にみなさんが感じる派手な演技についての話し合い。
いろんな意見が出てくる中で1つ気づいたこと。
最近のテレビドラマは派手なものが視聴率がいい。
派手な演技というのは、見た目でわかりやすく満足感を与えるので
観ている側の想像力などの負担が少ないのではないか。
普段の感覚を誇張することによって、ひとつのことを強く伝えて共感を呼ぶ。
翻って地味な演技では普段の感覚を普段の感覚のまま取扱い、たくさんのことを等価にして伝わるかを受け手に任せる。
受け手に対する関わり方が違うのかもしれません。
発することと受け止めることのどちらに重きを置いているか。

なぜ今日の稽古で派手な演技を考察したのかの説明がありました。
次回作品の構成に少し関わっているので詳しくは話せませんが。
みなさんが納得して、派手な演技を手に入れることを目指します。

日常のストッパーを外す。

8月27日 恍惚一座

ゴジラの稽古が進みます。
作品創作の上でのルールが決まります。
シンプルにそのルールを言い表すなら嘘をつかない。

例えばその部屋から逃げ出そうとする目的があるのに
舞台から出て行ってしますとその後が続かないという理由で
動きをセーブするといったことはしない。
段取りや、頭で言葉を使って考えた理由に縛られて
体の反応をセーブするのではなく
体の衝動や動きの目的に素直に従う。

言葉で指示されて、それができれば苦労ないよなと感じましたが
明らかに動きが大きくなり、見える印象がガラリと変わりました。
良いことなんですが、できてしまうみなさんがすごいなと。
山口さんと皆さんの間の信頼関係が厚いので、
素直に受け止め、そこに向かおうと我武者羅になれるが故ではないでしょうか。

作品が向上するのりしろはまだまだたくさんあるのは明確です。
なんだか作品の進化の仕方が突然変異のように
奇跡的に爆発的に変化していくのではないか。
今回のゴジラは本番ギリギリまで明確な姿を見せず、
何かのきっかけでいきなりできあがるのではないか。
そんな予感がしました。

2013年8月24日土曜日

素材を集める。

8月20日 そよ風ペダル

ワーニャ伯父さんの稽古が進んでいます。
稽古開始前に再度ワーニャ伯父さんの取り扱いや
次回作品に向けてのことを確認します。
ワーニャ伯父さんの役柄を演じて立ち稽古をしています。
演技のワークを細かく行い、ワーニャ伯父さんを作品として完成させることは目的とはしていません。
全体として共有しておきたい、演技の基本だけおさえていきます。
稽古ででのメインで行われることは
ワーニャ伯父さんからテーマを持ってきて
みんなで喧々諤々と話し合うこと。
この話し合いが次回の作品の素材になっていきます。
演劇をしているので、作品に関わること、
セリフに関わることに注目しがちですが
現段階では演技のワークではない、
何気ないおしゃべりも重要だということです。
いつもよりおしゃべりの掘り下がり方が深くなった気がします。
脚本は第一幕の終わりまで届きました。
四幕ありますが、できれば最後まで稽古をしていきたいという野望があります。
次回公演の作品がどうなるかに非常に興味を持ちながら
ワーニャ伯父さんを最後まで見てみたいと。
毎週どんな議論が聞けるのか、楽しみで仕方ありません。

セリフ以外のもの。

8月20日 恍惚一座

みなさん頑張ってセリフを覚えようとしています。
脚本をはずしてセリフをしゃべろうと必死です。
しかし、セリフを思い出すことに一生懸命になりすぎると
役柄がその場にいて会話をしているという感じがなくなります。
演技でなくセリフの当てっこになってしまう。
稽古場では一人一人のセリフが言えるかではなく
相手役の演技をどう受けるか、
全体の流れをどう作っていくかが重要になります。
つまりはそれが演技すること。
何を見せるかを明確にする試みにおいては
脚本を持っているかどうかは、さして問題ではありません。
もしかすると公演の本番でさえ、
セリフを覚えているかどうかは問題ではないのかもしれません。
見ている側はセリフを正しく言っているかどうかを楽しんでいるのではなく
もっとほかの所を見て(感じて)楽しんでいます。
脚本を持っての稽古になります。
セリフではない他の部分への創作になり
役者さんへの演出の深度が掘りさがったように感じました。

2013年8月17日土曜日

舞台の風、居場所の確保、無数の可能性。

8月13日 そよ風ペダル

今日のキャスティンを決めて立ち稽古を。
舞台セットを想定して共有します。
能や多くの舞台の慣例で、客席から見て左側が玄関や外側
右側が家の中、内側というイメージがあるようです。
とある演出家曰く、右から左に向かって舞台の風が吹いているそうです。
役者が右から左に動くと旅立ちに見え、
左から右に動くと帰還に見える。
これに習って、家の奥から出てくる時は右から、外から入ってくる時は左からと。

役柄の1人がずっと喋っているという設定で。
ずっと喋っている人は何を喋っているのかを考えてみます。
思いついたことを判断を挟まずに口につく人がおしゃべりなのでは。
生育歴によるのかも。
自分の居場所を確保するために、しゃべって行く必要性があった。
しゃべっていないと場所を支配できず不安になっていくのではないか。
この役柄も不安なことがあり(不満なことについては台詞化されています)喋りまくっているのではないかという仮説を得ました。

前回問題になった間をどうつくるかを再び。
筒井さんが何か語る前に、みなさんの中で自然発生的に話し合いがもたれます。
それぞれが自分なりの解釈をしていることを出し合います。
そこに筒井さんが加わってもそれは答えを決めていくということではなく。
ひとつの意見として、対等に話し合いに参加している状態。
創作とはこういうことでしょう。
絶対的な答えがあるわけではなく、無数に広がる可能性の中から
検証と決断を繰り返して、この場で答えを作り上げていく。
取りあえずの答えを用意して、そのシーンを試していく。
試行錯誤の繰り返しで、ワーニャ伯父さんを作り上げていきます。

役柄になっていく。

8月13日 恍惚一座

ひきつづきインタビューのつづき。
2週目になってコツをつかんだのか、質問に対してよどみなく発話が出てきます。
なんとなく、喋っている人がその役柄に見えてくるから不思議です。
今日はオープニングの稽古。
オープニングシーンの中で話しかける方向性や
語られる内容の時制によって
ブロックごとにわかれています。
その分かれ目でどのように雰囲気を変えていくか。
ポイントだけ山口さんから指定されて、
シーンの変化を生み出していきます。
じっくり稽古して、オープニングを作り上げていきます。
シーンごとの稽古がしばらく続いていくようです。

2013年8月11日日曜日

やりたいことと見えたいことのバランス。

8月6日 そよ風ペダル

体操、発声を終えワーニャ伯父さんの稽古です。
先週までやったところを配役を決めて通し稽古。
始める前に筒井さんから稽古の留意点を。
やっていくうちに気持ちが入ることによって、
しゃべり方がゆっくりになる可能性があるので注意しましょう。
みなさんがやりたいことと、お客さんが見たいものの落としどころを見つけたい。
前回公演の面白さとして、その人の素の魅力を前面に出していて
それは常にあるべきですが、次回公演への積み重ねとして
お客さんが見て、それがわかりやすいか、面白いかという意識を加えていきたい。
翻訳脚本はセリフが長かったり、日常会話から少し離れていて
朗々と語りたくなるが、それが見る方からしたらどうなのか気にしよう。
決して早口でしゃべるということではなく、自然な見やすいテンポのやり取りを探っていきます。

通し後にこれまでの稽古でお馴染みの話し合いタイム。
今日はやっかむとは何か?とつりあいのとれない夫婦について。
単なる雑談から、ふっと振り返って登場人物の関係性に戻って脚本解釈が深まります。
立ち稽古に戻って今日の追加分のシーンの稽古。
シーンの始まりは陰口的なことを離していたところに
その話題の張本人が登場して、ちょっとした沈黙が流れるというもの。
この沈黙の空気を作ってみます。
しゃべっていた人の作る空気もさることながら、
入ってきた人がどうなのか。
このようにして細かくシーンができあがっていきます。

サイドストーリーを絡ませる。

8月6日 恍惚一座

講師の山口さんが活動しているトリコ・Aの本番が終わり稽古再開です。
2週のお休みの間に自主練習をして、迎える準備は万端です。
公演稽古の再始動としての始まりは、役柄へのインタビュー。
みんなの前に役柄として立ち、インタビュアーから出される質問に
考えず思いつくままに答えていきます。
家族構成や両親との関係、学生時代の思い出など。
役柄のバックボーンは脚本には詳しくは書かれていません。
セリフとセリフの行間を埋めるために
インタビューを通してどんな役柄なのかを掴んでいく作業になります。
登場人物には私たちと同じように、それぞれに生きてきた積み重ねがあるはずで
つまりは表に出てこない役柄のサイドストーリーがあります。
そのサイドストーリーが他の役柄に影響していることもあるでしょう。
お互いにこの絡まり合いを稽古場で共有し、
大きなうねりのある本筋のストーリーができあがっていきます。
役柄の半分までインタビューを終え、残りは来週に持ち越し。
立ち稽古ではオープニング後からいけるところまで。
ちょっとずつ山口さんから段取りの提案が入っていきます。
観ていて何が面白いかを伝え、そこを強めていきます。
公演チラシもできあがり、本番に向かって否が応にも盛り上がります。
時間はあっという間に過ぎていきます。
本番まで走り抜けましょう。

2013年7月31日水曜日

見せる、見られる。

7月29日 そよ風ペダル

チェーホフの立ち稽古が少しずつ進んでいます。
前回やった、セリフをどこに落とすのか、
自分なのか、相手なのかということを意識しながら
稽古を進めていきます。
シーンとしては4人の登場人物が入ってきて
一人が残ってあとは通り過ぎるというところ。
セリフをどんなタイミングで入れるか。
印象を残すための立ち位置の確認が筒井さんからあります。
読み合わせなので、脚本に集中してしまいがちです。
それゆえ自分の立ち位置、セリフの飛ばし方を
意識に置いておくのはなかなか複雑な作業です。
できれば、今見られて、見せているんだということを含めて稽古を進めていこうと。
本格的な脚本稽古になっています。

2013年7月27日土曜日

脚本解釈と実体験。

7月23日 そよ風ペダル

ひきつづきワーニャ伯父さんにつきあっています。
新しいページが追加されつつ、先週のシーンの復習。
前回と同じ三人チームで少し練習して発表。
それぞれのチームの発表後に筒井さんから見ていての気づきを。
あるチームに言われたことは、みんなの中で共有され次のチームにも積み重ねられます。
ト書きに書かれている間で、どのように話が切り替わったことを表現するか。
自信がないとうセリフがあって、役の人物は本当に自信がないのか。
自分ならどうだろうという問いかけが議論を呼びます。
曰く、男の人はそう言ってそんなことないよと褒めてもらい自信をつけたい。
女は自信がないときは口に出さず、なんとかしようとすでに動き始めている。
セリフの中の得体のしれない食べ物ってなんだろう。
きっと高級品なんだとして、そんな食べ物を思いつきますか?
フォアグラ、はちのこ、チョロギ、イナゴ、パクチー。
声を相手にどのようにかけるか。
しゃべり出しは相手にかけているが、話が盛り上がってくると自分で自分に言っている現象も出てくる。
声を相手に届けるか、自分にかけるか、両方にかかっているのか。
声をどこに落とすかを明確にしていきたい。
脚本の解釈次第でこの落としどころが変わってきます。
脚本解釈の気づきを共有しながら演技のことを考えつつ
セリフの実感をこめるために体験の振り返りを話し合って盛り上がりました。
脚本を持ってセリフをしっかりしゃべるそよ風ペダルのみなさんの声というのもなかなか興味深いものがあります。
公演の時の演技とは別のものが見えてきています。

2013年7月17日水曜日

公演稽古、始動!

7月16日 そよ風ペダル
 
みなさんから要望があったということで、名作脚本に取り組んでみようとチェーホフの「ワーニャ伯父さん」が用意されました。はじまりのマリーナ、アーストロフ、ワーニャの三人のシーン。前回の話し合いの中で出てきた「セリフをテンポよく扱ってみる」を課題に、三人グループで読み合わせ稽古をして発表。
 
その後、筒井さんから作品解説。
そして、取り扱っているシーンの中のモチーフを取り出して、それを具体的な実感を伴って演技するために
自分の普段の生活を振り返ってみようということに。
 
モチーフ1 「めんどくさい」の実体験。
・暑い中、孫の幼稚園の送迎バスのお迎えに行く。
・ご主人一人分の昼食の準備。
・二日酔いの次の日。
 
モチーフ2 マリーナの「ふけましたねぇ」と本人に言える関係。自分にとってどんな相手になら言えるか。
・ご主人。
・男性は奥さんには言えない。 「殺されるね」「言い方じゃない」
・自分の方が年齢が上なら失礼にならないんじゃないか。
・親が子供に言うならありえるかも。
 
実際にワーニャ伯父さんをそのままそよ風ペダルで上演はしませんが
ワーニャ伯父さんとは公演までつきあっていくことになります。
つまり、ワーニャ伯父さんから上記のようなたくさんのモチーフを取り出して
それをそよ風ペダルの中で実体験の伴うエピソードとして摘出していきます。
このエピソードと元のワーニャ伯父さんを絡ませて一つの作品に仕上げていくという目論見です。
脚本を取り扱ったワークかと思いきや、次回公演の創作が始まりました。
さすがそよ風ペダル、始動します。

 


上演作品、発表!

7月16日 恍惚一座
 
予告したように通し稽古です。
今週も小道具サプライズが起こりました。
そして、上演許可がおりましたので画像公開。
 

ピグモンと円谷英二監督です。というわけで、恍惚一座 第1回公演は大橋恭彦 作「ゴジラ」になります。学生劇団だったりの若い人がよく取り上げる作品ではないかと。テンションの高い、声や体を精一杯使った、元気な作品というイメージがあります。そんな作品をシニア劇団で取り上げるというのも、なかなかの挑戦ではないかと。でもだからこそ、やる意味があるのでしょう。ここでしか出せない魅力があるのでしょう。

通しはセリフを必死に覚えようとしていることがよく伝わってきました。
できるだけ脚本を見ないで演技をしていきたいという思いが伝わってきます。
稽古を重ねればセリフは自然と入ってきます。
なによりも作品に取り組もうと、とにかくぶつかっていって
面白さを伝えていこうという熱意、心意気が大切で、もうすでに通しの中で溢れるほどに伝わってきました。
「もう細かい所を演出すれば上演できるな」と山口さん。
いやいや、気が早いかもしれませんが、
魅力的な作品が生まれそうな予感は、確かに、すでに。


2013年7月14日日曜日

そよ風ペダル、さっそく稽古再開。

7月9日 そよ風ペダル

公演を終えて二週間お休みをして久しぶりの稽古です。
通常だと一ヶ月休んだりするのですが、さっそく稽古再開です。
公演が好評のうちに終わり、より高みを目指して時間を多く取っていこうという心意気です。

久しぶりに体操と発声を丁寧に。
公演稽古の終盤は通しをして返し稽古をするために体操を省略していましたので、何だか新鮮です。その後、円になって座り前回の公演について、周りから聞こえてきた感想や反省点、これからの稽古や次回の公演に向けての段取りについて話し合いました。
試演会があったことがどうだったのか(本公演の内容をわかりやすくしたかどうか)といった作品のことだけでなく、
パンフレットにあらすじを載せるべきか、チラシの地図の情報、客席の設えや、妊婦の方などの客席の誘導についてといった公演全体に対する話し合いも出てきました。
単なる講座の受講生ということでなく、シニア劇団の劇団員という意識がしっかりみなさんの中にある証拠だなと感じました。
これからの稽古について、ワークショップのようなことをおこなうのか、本公演の作品づくりに向かっていくのか。
また、間で試演会もしくは発表会みたいなものをおこなうのか。
そういったことも話題にのぼりました。
結論は出ませんでしたが、何にせよ来週から稽古が本格的に始まります。
なんだか来週の稽古が楽しみです。


素に戻らず受け止める。

7月9日 恍惚一座

今週も稽古場に小道具サプライズが。
ひとつの役柄をパネルに絵を描いて表現しようという話しが先週出まして、
その内作らないとなと思っていたのですが
作ってみたとパネルを持ってこられていました。
なかなかの完成度です。
画像を載せたいところですが、上演許可がまだなので控えます。


先週の続きで残ったシーンの立ち稽古を。
台詞を言い終わった後の体について。
脚本がまだ入ってない状態だと往々にして起こるのですが
台詞のない時に待ちの状態になって、素に戻っているということが良くあります。
人によって発するのが得意な人と、受け止めるのが得意な人というのもあって。
芝居のテンポとか現段階ではいいので、相手の演技をしっかり見て聞いて受け止める。
そこから自分の台詞をはっきりと相手やお客さんに伝えることを大事にしてくださいと山口さんから。



図らずも残りのシーンが全てできまして。
ラストシーンで山口さんが涙ぐんでいたのはここだけの秘密です。
来週は立ち稽古での初通しになります。
その後の二週間が山口さんの劇団、トリコAの本番になりますので。
山口さんはいませんが、みなさんで稽古場取りをして自主稽古をすることになっています。
ここで台詞を覚えることができたらと期待しながら。
順調に公演稽古が進んでおります。

2013年7月6日土曜日

物語を区切る。

7月2日 恍惚一座

前回お伝えしたので小道具を持ってこられています。
練習用なので、取りあえずのカタチになるものでいいのですが、
もはや本番並みに手づくりされたものが用意されていて。
その熱意にびっくりさせられて、さすがです。

さて、本日の稽古は作品の分割箇所を明確にするところから。
稽古の時にこのシーンをやりましょうとなった時に、
みんなでどこのシーンだかわかるように、
区切ったシーンごとに名前を付けていきました。
このシーンを区切るという作業、名前をつけたりして遊んでいるようですがとても大切です。
演劇でも物語でもいいのですが、見ている人が何を楽しんでいるかというと、
ひとつには変化していくこと、もしくはその変化による発見ではないでしょうか。
こういった観点から作品を区切りを明確にし共有することも物語を解釈して魅力を引き出していく作業だと言えます。
区切りが見えてくると場の雰囲気を切り替える意識が生まれます。
どう切り替えるかは演じ手のセンスにもよるのでしょう。
やり取りのテンポを変える、体のカタチや動きで変える、声の大きさや高低で変える、などなど。
どうであれ演技に対しての思いつきのキッカケがそこにあり、
試すべき選択肢が増えて作品創作に繋がっていくということです。

まあ、そういった小難しいことはさておいてシーン稽古が始まります。
山口さんの中に舞台セットのイメージがすでにあり、
その中でどう動いていくかを試していきます。
とにかく今はたくさん動いて楽しんで、動きとセリフを連動させていく。
セリフに動きがのってくるとイメージがつきやすくなって言葉が入りやすくなります。
どんどん動き回りましょう。
まだ今回の作品が何かをあかしていませんが(ただいま上演許可の申請作業中なので)
今回の作品は体をたくさん動かすことがひとつの魅力であることは間違いないので。
シニアながらの最大限の体の動きを目指しましょう。