2024年4月23日火曜日

【そよ風ペダル】脚本完成!

2024/4/23(火) 14:00-16:00

高槻城公園芸術文化劇場 中スタジオ3

担当:岡田


講師の筒井潤さんによる新作台本が完成しました!

今日の稽古は全員が揃ったので、台本を最初から最後まで読んでみました




終始クスクス笑って聞いていました。

ここに演技が付くとどうなっていくのか楽しみですね。


ちなみにチケット発売が開始しています!

「高槻de演劇」全体のホームページは下のリンクから。

https://www.takatsuki-bsj.jp/tat/event/20240124-1772


そよ風ペダルの詳細な情報公開はいましばらくお待ちください!







2024年4月16日火曜日

【そよ風ペダル】銀宴との比較

 2024/4/16(火) 14:00-16:00

高槻城公園芸術文化劇場 中スタジオ3

担当:岡田


久しぶりにそよ風ペダルの稽古に参加しました、岡田です。3ヶ月ぶりくらいでしょうか。


先々週の渡辺さんの稽古場ブログから、なんとなく続く形で今回の稽古場ブログを書いていこうかな思います。


渡辺さんのブログの最後に「シニア劇団 銀宴」の話が出てきていました。

「シニア劇団 銀宴」は、そよ風ペダルと同じ週に同じ劇場で公演を行う劇団です。京都を拠点に活動していて、そよ風ペダルと同じで次回公演が記念すべき第10回公演を迎えます。講師に田辺剛さん(下鴨車窓)。


銀宴の稽古場には僕(岡田)が毎回参加しています。

次回公演タイトルが『覚えられません!』と名付けられているように、「セリフを覚えること(覚えられないこと)」が主題の一つになっていて、それはそよ風ペダルの作品とも通じています。


違う点でいうと戯曲の作風でしょうか。そよ風ペダルはナンセンスで、銀宴は物語的です。

ただ、両方とも俳優が覚えやすい戯曲にはなっておらず、そうした戯曲にシニア劇団が挑むという点が、やはり共通していると感じます。


銀宴を気になった方は、銀宴の稽古場ブログも読んでみてください!

https://fuzokugekidan.jugem.jp/#gsc.tab=0





さてさてさて。

本日の稽古は、覚えることに特化した稽古でした。

これまでは動きとセリフを同時に覚えていきながら創作していましたが、今回はまずはセリフを覚えて身体に馴染ませた後、動きの稽古を進めていくという方針だそうです。


なかなか覚えにくいセリフが多いので、覚え方としては物語の意味に頼るのではなく、ひたすら口を動かして身体に落とすアプローチが向いています。


観ていてすでに楽しい作品になっている気もしますが、もっともっと良くなっていくことは間違いないので、まずはセリフ覚えから頑張っていきましょう!




2024年4月10日水曜日

【千年団】聞いたり聞かなかったり

 2024/4/9 富田ふれあい文化センター プレイルーム 13:00-17:00

桜がだいぶ咲きました。が、先日の大雨と風で結構散ってしまいました。

演劇の稽古では「相手のセリフをちゃんと聞いて」と指示が飛ぶことがあります。
ただ、「会話のなかで相手の言葉をちゃんと聞く」というのは、必ずしも「しっかり最後まで聞き切る」ということではないかもしれません。
どの様な言語を用いていても、相手の発言に対する応答は平均して0.5秒以内に行われるそうです(『言語はこうして生まれる:「即興する脳」とジェスチャーゲーム』)。
人間は多くの場合、相手が語尾まで言い切る前に「相手はだいたい概ねこういうことを言いたいはずだ」と判断して応答し始めるようです。
つまり発言の意図が理解できた(と思った)ら、相手の言葉をしっかり最後まで聞かないことがあるのでしょう。

演劇でもそれを再現すれば良いかというと必ずしもそうではないでしょうが、「相手のセリフをちゃんと聞く」というのが、一体どういう意味で「聞く」のかを考える余地はありそうです。
ちなみに、今回一部のシーンではかなりはやいテンポでセリフの掛け合いが行われていた、という印象を抱きました。機械的に、「相手の言葉を聞きすぎない」ことを実践していたのではないか、と思いました。小気味良かった。

また別に。チーフより「相手の言葉を聞いてからのセリフと、そうではなく複数人が同時に居合わせていて、タイミングで言うセリフとを区別してほしい」といった様な指示がありました。
たとえば他の人同士で行われている会話を邪魔しないように空気を読んで、タイミングを見計らって発言する……といった様な。これは日常でもよくあることでしょう。

テンポ、間、リズム、云々。演劇の肝ですが、やはり使いこなすのは相当難しい。台詞を覚えて余裕が出てきたら、次第に洗練させていく第一のポイントになりそうです。

2024年4月2日火曜日

【そよ風ペダル】覚えて、忘れて

 4月2日 14:00-16:00 高槻城公園芸術文化劇場 中ホール3 担当:渡辺

いつの間にか新年度、いつの間にか暖かく。

きづけば本番まで3ヶ月を切りました。今回は終始セリフ暗記モード。


ミュージカルに興味を持って自身も舞台に立っている某有名実業家Hさんが、数年前に「演劇が面白いの大きな声を出すことだけど、暗記が大変なので、セリフを全部表示できるメガネみたいなものを開発すべき」みたいなことを言っていて(多分実際に開発に取り組んでいて)、なるほど流石、革新的だと感心した記憶があります。

ただ同時に、「覚える苦しみ」の楽しさというのも確かにあるでしょう。


とりわけ今回の芝居では、似たようなセリフがあえてたくさん繰り返されていて、俳優がそれに間違えたり困惑したりする(してしまうかもしれない)ということも一つの醍醐味になっています(ベケットも、わざと俳優が困惑するような手法をとったりしていました。たとえば『PLAY』)。

書かれたことを読むだけでは出てこない緊張感が心地良い、そういう芝居になりそうです。


今日追加された台本のシーンを、なんとか頑張って覚える作業にいそしむ俳優たち。

そんなに急には、と苦戦しながらも、少しずつ流れが入っていっている感がありました。

軽妙なリズムのセリフは、結構ノリで覚えやすい、みたいなこともあったかもしれません。


(高槻de演劇でそよ風ペダルの1週間前に上演される、別のシニア劇団 銀宴の公演タイトルが『覚えられません!』であるらしいことを知って、ちょっと笑ってしまいました)






2024年3月27日水曜日

【千年団】セリフの動機を持つ

2024326日(火)

富田ふれあい文化センター プレイルーム

担当:岡田


絶賛稽古を進めています、千年団。



今日の稽古では、セリフのテンポも大事ですが、まずは「なぜそのセリフをいうのか」「なぜそのような動きをするのか」といったような個人の中の動機をしっかりと持つことを重点的に意識して行いました。


セリフが間違えずに繋がっていたとしても、そこに内面が伴わないと、観ている側は上滑りしてしまいます。


セリフの動機を考えていくと、ただ単にセリフを言う以上の部分が役者の身体から出てきやすくなります。

例えば、セリフの声量や方向、体の向き、目線、目つきといった身体のさまざまな部分に変化が生じます。

また、相手役との関係性を考えていくことも、自分の役づくりに活きてきます。


内面を考えれば自動に身体が動いていく、とという人も少しはいると思いますが、基本的には動機を考えていくうちに「じゃあこういう言い方や動きをしてみよう」といった言動のほうのアイデアが出てきたりするものです。

動機を考えるのに合わせて言動のアイデアも考えてみて、そのアイデアを稽古場で試してみて、どんどんシーンを磨いていきましょう。

2024年3月19日火曜日

【千年団】存在感(presence)

3/19 13:00-17:00 富田ふれあい文化センター プレイルーム 担当:渡辺

今日は、演劇にはやはり「存在感」が重要なんだなと再認識しました。
存在感といっても、特別オーラがあるとか、なんだか印象深いとか、そういう「存在感のある人(俳優)」が重要だということのみならず、
「誰しも人には何らかの存在感があり、それをコントロールすることでコミュニケーションをとったり(とらなかったり)している」といった様なことです。

あまり親しくない人が隣にいるだけでも、何らかの存在感や「圧」を感じてしまう。その人がこっちを向いているとなおさらです。
その人自身は圧をかけようなんて意識していなかったとしても、勝手にそういう空気になってしまう――ことがある。
もちろん、「電車で隣同士で座った人同士」だと、なるべく互いに存在感を出さないように努めたりすることもあるかもしれません。

いずれにせよ人一人の存在感が、その空間にあるかないかというだけで、空気というか、空間の配置というか、力関係というか、そういうものが大きく変わりそうです(ただし同時に、一人一人の存在感よりも「賑やかな雰囲気」の方が重要なパーティとか会合とかもあって、そういうときはその限りではないのだろう、とも)。

また、「その場にいないのに存在感ある人」とかもいますね。普段あまり意識してなかった人が亡くなった直後、急に意識されてくる、とか。
難しいと感じられたのは、前回の立つ/座る問題と関連して、恐らく家の中で「立っている」とそれだけで存在感が強まるのだと思いますが、
民家で立ちあがるのと、天井の高い稽古場で立つのとでは、存在感の変化に違いがあるのかもしれない、ということ。
舞台装置で「天井」をつくることはなかなか難しいので、考えても仕方ないことかもしれませんが…。

云々。
このような「存在感」が、人間関係とか、演劇/演技を考えるうえで重要なのかも…と色々思いをめぐらせながら稽古をみていました。
あれこれ考えが生まれてくる(ので)演劇は楽しい。





2024年3月12日火曜日

【千年団】立つことと座ること

 3月12日 13:00-17:00 富田ふれあい文化センター プレイルーム 担当:渡辺

数ヶ月ぶりにうかがいました、千年団。

前は百人一首で遊んでるくらいのときで、まだまったく全貌が見えていませんでしたが、今日は120ページほどの台本を用いての練習だったので、だいぶ空気が違った。

台本持ちながらではありますが、みんな結構セリフが入っています。

細かい読解、演技の機微にも踏み込んでいる状態。だいぶドラマを堪能させてもらいました。

今回の脚本では今まで以上にストレートに人間関係(あるいは様々な距離感)が中心的に扱われている感があります。人と人との近さや遠さ、近くあろうとする人、遠近感が周りとズレてる人云々…といった様な。


本日は「このセリフは立ってから言う」、「このときはまだ座ってて」といった、立ち/座りの指示が多かったのですが、「関係の表現」に際しては、立っているか座っているか、という要因が大きいのかもしれません。

「立って相手より上の立場にいようとする」とか「どっしりと座って余裕があることを演出する」とか、「すぐに動き出せるようにフットワークを軽くしておく」、「もう立ち去りますよ、というアピールをするためにひとまず立ち上がる」云々と…色々な理由の立つ/座るがありそうです。


そういえば「座る」「腰を下ろす」「腰かける」「席につく」などは、動作としては同じでもそのニュアンスが違う感じがしますね。演技はさらに、もっと細かく表現しわけることができるのだろうか。