2017年4月25日火曜日

声を前に。

4月25日 恍惚一座 担当:梶川

通し稽古をしました。
プロンプをいれながら脚本を離して。
うーん、やりとりのテンポ。
会話劇のコメディはテンポが良いか悪いかだけでガラリと印象が変わります。
もう一踏ん張り。
セリフ覚えに自信がないと声が小さくなって、声が聞こえないのは伝わらないということで、相手役もやりにくくなってさらにテンポが悪くなり自信を削いでいく。
セリフが入ってなくても声は前に飛ばす。
それだけで印象も変わりますし、テンポもキープできるかも。
全く出てこない場合は即座にプロンプを入れること。
プロンプを入れるタイミングもなかなか難しいですね。
舞台セットの配置が変更されました。
これにより段取りも変わります。
なにはともあれ、10分オーバーをなんとかせねばですね。

2017年4月24日月曜日

淡々と、飄々と。

4月18日 そよ風ペダル 担当:梶川

追加ページをもらっての脚本稽古が続いています。
毎回の稽古で筒井さんからいろいろな切り口で今回の作品で求められる演技の提案がなされているように思います。
総じて抑制の効いた演技なのではないかと感じます。
抑制: おさえとどめること。 意識的な努力によって衝動やそれに伴う感情・思考をおさえつけること。
日本語で考えると押さえつけて身動き取れなくする感じですが、英訳するとコントロールとも言えます。
例えば今回の稽古で台詞のやりとりで声の発し方にルールを設けています。
このルールに則れるかどうかというところに、ひとつの抑制があると思うのです。
今日は居様や表情に関して淡々と飄々とした状態を保ちたいという事が言われました。
これもルールとなっていくように思います。
演技に抑制が効いてくると何が良いのか。
ここでの意味が重要になってきます。
意識して(コントロールして)衝動やそれに伴う感情・思考をおさえつける。
演技において衝動が必要なのですが、この衝動というやつが何とも曲者で。
その衝動は果たして本当に自然発生したものなのか、自分で用意してしまったものなのか。
自然発生してこその衝動なわけですが、演技となると自前で用意してしまっている可能性が拭いきれません。
そこでまずはあらゆる衝動をコントロール下に置いてしまい、つまりは衝動でなくしてしまい全てを自分で用意したものであることにしてしまいます。
その様に演技を組み立てていって、それでもなお脚本からなのか相手役とのやり取り故なのか、何ゆえの刺激によるのかわかりませんがどうしたってコントロールできず溢れてしまうものが本当の衝動なはずです(それも疑い始めるとどうだかわからなくなりますが)
自然発生の衝動には強さと説得力がともないます。
しかしもしかすると、いつまでもこの衝動は起こらないかもしれません。
それだとしても構いません。
偽物の(自前の)衝動を見せられた場合、それが自前のものだと見抜かれてしまい観客は距離をとります。
少なくとも抑制された演技をしていれば、この距離が生まれることはありません。
抑制された演技は、見ている側に衝動を起こす可能性があります。
観客が自分の好きな衝動を用意して、そこに補っていくことができるのです。
そのことを想像というのでしょう。
つまりは抑制された演技は白いキャンバスです。
観客がそこに好きな衝動という絵具を塗っていきます。
先に絵具を塗っておいて、それを見せる作品もあります。
今回はそうではないという事です。
抑制して、白いキャンバスを用意しましょう。


2017年4月18日火曜日

舞台上でかくれんぼ。

4月18日 恍惚一座 担当:梶川


ついに、ついに脚本が完成しました。
稽古をしながらの細かい修正はあるとしても、ストーリーは明確になりました。
時間はありませんが、ここから創作が本格化していきます。
コメディ作品なわけで。
コメディに限らずですが、面白みを作るためのコツとして、隠蔽と発見ではなかろうかと。
要はかくれんぼですね。
役柄が隠して、観客が見つける。
その発見が刺激となって観客は面白みを感じると。
であるならば、役者の仕事はどう隠すかということになるのではないかと。
作品のことを伝えなければならないとされますが、それは発見のためにあります。
発見の機会を作られなければ、それは失敗です。
ですがすべてが説明されていて発見がないと、途端に退屈さを感じるようになるのではなかろうかと。
計算して説明不足の演技を作られればと思います。

2017年4月17日月曜日

理想の俳優ではなく、脚本の役柄を目指す。

4月11日 そよ風ペダル 担当:梶川

脚本をどう扱うかについての稽古が進んでいます。
声の出し方をどうするかということにこだわっていますが、そよ風ペダルでの創作方法について改めて筒井さんから説明がありました。
それは理想像を置かないという事です。
何度か折にふれて話されていますが、例えば以前に話されて事で演技が下手ということはどういうことかというのがありました。
それは自分のやりたいこと(理想の演技)を想定して、それが実際に出来ていない時に下手な演技となります。
理想と現実は違うという事ですね。
なのでまず理想を持つのは一旦横に置きまして、できることから始めようということでした。
今日の話では憧れの俳優さんの演技を間に置いて脚本を読んで演技を作るのではなく、直接に脚本から創作をしていきましょうという話がされました。
直接に脚本から創作するとはどういうことでしょうか。
脚本には役柄があり、ト書きと台詞が書いてあります。
ならばまずは台詞に安易に声色をつけないで(声をつくらないで)発してみる。
ここ最近やっていることはそういう事なのでしょう。
一種の鍛錬のようです。
こうやろうという演技が先にあって脚本(台詞)が扱われるのではなく、まずは台詞があってそこから演技が導かれてくる。
鶏が先か卵が先かという感じでもありますが、誤解を恐れず言い切るならばどこまでいっても演技はいらないのです。
ただその舞台に脚本に書かれた作り物である筈の役柄が演技でなく本当にそこに生きていると観客が見て納得できる事こそが必要なのですから。

2017年4月14日金曜日

沈黙の時と熱く台詞が飛び交う時と

4月13日 WakuWaku 担当 土井
今回初めて11月の公演に参加されるお二人の為に、公演
会場となる305号室を下見しました。このがらんとした空間に舞台や客席が作られ、沢山の人が集まる日が今年もまた近づいて来ました。

まずジェスチャーゲームで身体と頭を動かします。2人組になり、1人が与えられたお題をジェスチャーで表現し、相手に当ててもらいます。抽象的なお題にはどう動いたらいいのでしょうか?お題「昭和のアイドル」は全滅でした。ジェスチャーゲームにはまっていた子供時代を思い出します。

発声練習では高低、大小の声の違いの他に、広がる声やつきささる声、うちにこもる声など、様々な声の方向性、指向性を試します。


さて先週に引き続き同じテキストで稽古。
決して高校生を演じなくてよいことは、皆さんよくご存じ。
8人の役をみんなで共有し、順繰りに演じていきます。
テンポが上がる場面は台詞の繋ぎ目を途切れなく繋ぎたい、冒頭場面、そして一致団結して熱が入る場面など。






最初の「沈黙」。ただ事で無い事が起こる予感が共有されます。この沈黙を支配する者は、佐々木です。そこへ空気を読まず沈黙を壊す武丸が登場します。
皆の団結の熱いやり取りの後、亜希の決意の台詞により「沈黙」が再び現れます。
「みんなありがとう、・・・すごく嬉しいよ、私」という亜希の台詞。言葉の意味通りでない気持ちを汲み取る茜の返事は重要なポイントになってきます。

アクション。動かなければならないという脅迫観念は捨てます。自然に動ければいいのです。
美枝子が子供達を牽制する長台詞は、熱が入るところや優しく言うところ、いろいろとメリハリをつけてやってみましょう。この長台詞は、文章にリズムがついていて、読んでいて気持ちがいいですね。


写真を撮ることを決めた早苗。その言葉は亜希にだけ向かいます。



来週20日はお休みです。27日にもう一度、今度は配役を決めてこの台本を稽古します。
配役をご連絡しますので、お休み中に台詞を入れて来てください。

2017年4月11日火曜日

演出的、客観的、俯瞰的、全体的。

4月11日 恍惚一座 担当:梶川

作品後半の稽古となりました。
山口さんからどうすればそのシーンが笑えるようになるかの解説があり、実際に演じられるかが求められます。
なんだか脚本読解ということが気になります。
それは普段の稽古で他人が演技のしているのをどのように見ているかということかなとも思うのですが。
脚本を読んだ時に客席から舞台を見るように俯瞰してそのシーンが想像できるかということ。
演出の視点でもあるのですが。
他人が演じる舞台を見ている時にそういった演出視点で見る癖をつけておくと、自分が舞台に立つ際も役柄の感情や生理といった内向的なことではなく、どうしたら見ている側にシーンの面白さが伝わるかといった外向的な問題に考えが及び始めます。
脚本読解で言うならば、自分の役柄をどうするかということで読みがちですが、その前にシーンとして何が描かれているかを読んでみれないでしょうか。
全体として何が起こっていて何を達成なければならないかという事がわかれば、役柄を演じる役者として、そのシーンでどんな役割を任されているかが見えてきます。
役柄の個性や感情というのはその役割を達成したうえで表現されることではないでしょうか。
本当のところを言うならば、演出家からそのシーンの何が面白いのかの解説はさせてはいけません。
役者は役柄を演じる前に演技で演出家に私はこのシーンの面白みをこう読み取ったと伝えられることが必要なのではないでしょうか。
演出的、客観的、俯瞰的、全体的。
どんな呼び方をしてもいいのですが、役柄という呪縛から離れて脚本を読み直してみると気づけることが沢山あるのではないでしょうか。
脚本には台詞しか書かれていません。
ですがそこにすべての事が書かれているのです。

2017年4月7日金曜日

でもね、私、決めたの。

46 WakuWaku 担当 土井
新しく参加されたお二人が名前を覚える為「名前鬼ゲーム」で身体を動かしました。鬼に捕まりそうになった人が誰かの名前を呼ぶ、呼ばれた人は返事をして新たな鬼になるというゲームです。
ポイントはスローモーションで動く中で感情の起伏を掴み、スローな動きと追いかけられて焦る感情が分離するのをコントロールすることです。
ただ誰かの名前を呼べば鬼を免れるのに、身体は逃げようとしてしまいますね。

発生練習では、様々な声が一つになり美しいハーモニーが生まれました。お寺の声明(しょうみょう)はこんな感じでしょうか。
今日は後ろ向きで声を出す訓練や思い切り舌を出して
A E A N (あえあん )と滑舌の練習もしました。





新しいテキスト2枚。
寮に住む高校生達。その内の一人(亜希)が親を亡くし、児童相談施設に入らなくてはならなくなります。亜希が施設に行くことに反対し、寮に留まらせようとする寮生達。それを冷静な判断で却下する大人。そして最後に写真を撮る新聞部部員。
台詞は関西弁ではなく標準語のアクセントで言うことに気をつけてください。
今日はまず、この「場」を共有することから始めます。
「・・・」間は十分に取り、反対にたたみかけるように言うところはどんどんたたみかけます。
舞台の空気をコントロールる、間、沈黙。
そして寮生たちの熱い団結の盛り上りのあと、「でもね、私、決めたの。」と複雑で含みのある重苦しい決意を持った亜希の言葉に行き場をなくした寮生達の熱は新聞部員早苗に向かいます。
寮生佐々木の母、美枝子の大人の理屈と迫力でせまる説得のあと、相談員が優しさで皆を納得させ、何とも言えない気まずい沈黙の時が来ます。この気まずさの沈黙を我慢しなければいけません。けして戯画化しないよう。
男2名、女6名でキャスティングはどんどん変わります。誰が誰を演じているのかわからなくなり、何処に向かって台詞を言えばいいか混乱しました。
来週もう一度、このテキストで練習です。たった2頁のなかに、重い場面、熱い場面、圧倒される場面、エピローグ等多くのものを盛り込めることに驚きました。